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【書評】蓼沼宏一『幸せのための経済学』~教育格差是正のヒントを経済学から考える~

 

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今回は書評記事です。書店のSDGs特集棚に並べられていた一冊。

蓼沼宏一『幸せのための経済学』岩波ジュニア新書

経済学の主要な考え方である効率性衡平性という考え方が身につきます。

 

 

ざっくり概要

 

  • 経済は、社会を構成する人々ひとりひとりの福祉を高めるためにある。
  • 福祉とは「ひとが良い状態にあること(Well-being, or welfare)」
  • 本書は、人々の福祉をどう評価するか多様な観点から考える。

 

経済学は資源配分を考える学問です。

資源配分とは、どれくらいのモノやサービスが個々人に分けられているか、ということです。この配分を巡って、効率性衡平性という2つの異なる考え方があります。

効率性とは、資源配分で無駄なく生産・分配されている度合いのことです。

一方で衡平性とは、資源配分の結果、人々の状態に偏りがなく、バランスがとれているかどうかのことを指します。

ちなみに公平性とは、取引などのルールや手続きにえこひいきがなく、フェアであることをいいます。

 

市場は、無駄なくほしい人の下に財やサービスを供給しますから、極めて効率的に運営されているといえます。しかし、分配面に着目すると、それを手に入れた人はお金を払った人、払えた人なわけであって、人々の状態には格差が生じています。

確かに効率性の実現には格差が生じるのは当然なのですが、それでも一部の人が極端に厚遇されたり、ある人々が不遇であるというような、社会的境遇に格差のない状態が求められます。つまり、衡平性の基準からの社会評価も満たす必要があります。

 

効率性を犠牲にすることなく、どこまで衡平性を達成できるのか。

これが筆者の掲げる命題です。

ここに教育格差を考えるヒントがあると感じました。

 

教育格差を経済学的に捉える指標~機能潜在能力

 

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蓼沼先生は格差について以下のように述べられています。

格差を論じるときには、まず何に関する「差」であるのかを明確にしなければなりません。人々の状態・境遇に格差がなく、釣り合いがとれているさまを「衡平」とよびます。格差と同様に、所得の衡平、消費の衡平、教育の衡平など、さまざまな面での衡平が考えられます。それゆえ、何に関する衡平かを明確にする必要があります。経済の目的は人々の福祉を高めることですから、経済システムの望ましさを判断するときに最も重要なのは、人々の福祉に関する衡平です。

…(中略)…異なる個人間で状態・境遇を比較評価し、その格差を拡大すべきか、縮小すべきかを考慮する必要があります。その格差を縮小すべきであるという考え方が、衡平性の基準に他なりません。(PP.94-96)

 

格差を考えるときには、そもそも何についての差かを考えなければなりません。

経済学では、人々の福祉に関する衡平性が格差を考えるときの判断基準になります

 

そして福祉水準の評価基準には、さまざまな指標があります。

その中でも蓼沼先生が最適な基準として考えていられるのが、機能という指標です。

 

  • 機能とは、個人がなし得ること、なり得るもの全てを表わします。たとえば、「栄養を摂取すること」、「自由に移動すること」、「他人をもてなすこと」、「文字が読めること」などです。この指標はインド人経済学者であるアマルティア・センによるものです。

 

一方で、蓼沼先生は機能以外の指標では、モノ・サービスの消費量や労働量も考慮すべきだと言っています。ただし次善の評価規準という但し書きをしています。

 個人の健康状態・ハンディキャップの程度や、教育水準・社会基盤などがほぼ均質な社会においては、各個人の福祉を決定する主要因はモノ・サービスの消費量および労働量であると考えられます。(PP.97)

 

ただ福祉指標はこれだけに限りません。

日本社会では急速に格差が拡大しています。こうした社会において、人々の間には大きな機能の差があると考えられます。そうした機能をどれだけ持っていて、どれだけ選ぶことができるかという福祉指標を、潜在能力といいます。

 

  • 潜在能力とは、各個人の生き方における選択の機会の豊かさ、あるいは選択の機会としての自由を表現する概念です。さらにいえば、ある個人が実現できる様々な機能の水準の組み合わせ全体の集合を指します。これもアマルティア・センの考案によるものです。

 

社会にあって、どれだけの生き方の選択肢に恵まれているかという「福祉に関する自由度」を表現するもの。簡単に言えば、どれだけ「できること、なりたいもの」のメニューが用意されているか、ということです。

 

人々には将来どのように生きるのか、生きたいのか、多様な生き方の選択肢が用意されています。けれども、そのメニューの豊かさは人によって大きく異なります。

先進国と貧困国、裕福な家庭と貧困家庭、社会的差別の有無、ハンディキャップの有無や程度、学習能力の高い人と低い人、体力のある人と乏しい人など、様々な要因によって、なし得ること、なり得るものの選択肢の豊かさには大きな格差が生じてしまいます。だからこそ、潜在能力という指標は、人々の衡平性を測る指標として有用なのです。(PP.46-47)

 

蓼沼先生によれば、潜在能力を決める主な要因は三つに分けられます。

その第一は、入手可能なモノやサービスの種類と量であり、これは各個人の持つ所得・富とモノやサービスの価格という経済的条件によって決まります。

第二は、健康状態、ハンディキャップの程度、知力、体力、共同体内での地位などの各個人の特性です。

第三は、公衆衛生、教育制度、人種やジェンダーによる差別の有無、障害者への社会的対応、表現の自由、集会の自由などの社会的環境です。(P.47)

  

福祉指標は教育格差を整理する知見になる

 

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近年の日本では、教育格差が問題視されています。複雑で整理しがたい、この問題も潜在能力という観点から整理が可能だと考えます。

 

www.yutorix.com

 

教育格差とは、生まれや地域など本人にとって選べない所与条件でその後の人生に大きな格差が生じることです。

 

蓼沼先生によれば、まず何の差かを明らかにするべきで、教育格差とは教育機会の格差とそれに伴う選択肢の格差です。

つまり、人によって活用できる・選択できる機能に差があるということで、これは潜在能力の格差と言い換えてもいいでしょう。

 

教育格差は衡平性の観点から是正されるべきですが、どのように是正すべきかと言えば、先ほどの潜在能力の三つの決定要因に従って整理していくとわかりやすくなります。打開策を考案するときに、どの領域を活用すれば良いかが見えてきます。

改めて要因を示すとこちらになります。

 

  • 入手可能なモノやサービスの種類と量
  • 健康状態、ハンディキャップの程度、知力、体力、共同体内での地位などの各個人の特性
  • 公衆衛生、教育制度、人種やジェンダーによる差別の有無、障害者への社会的対応、表現の自由、集会の自由などの社会的環境

 

たとえば、入手可能なモノやサービスの種類と量の差は、経済的条件が決定づけているわけですが、それに対しては行政による支援、図書館などの知的インフラの整備などが対策として考えられます。

また、多様な人との交流や教育制度など、どの領域でどの程度の差が個々人にあるのかがわかれば、市民が自発的に行うべきなのか、個人の問題なのか、それとも行政が制度的に実施していくべきなのかが見えてきます。

 

具体的な教育格差是正の問題はまた別の機会で考えたいと思いますが、本書は格差是正についてどのように考えれば良いのか、思考を整理してくれる良書だと思います。

経済学の知見が大いに役立つと感じました!

 

P.S.そもそもこの記事を書いた出発点が「格差が問題ではなく不平等が問題では」という意見を目にしたことだったのですが、格差それ自体も衡平性という観点から望ましくないということがわかったので、自分としては得たモノがあったなあという感想です。

  

ちなみに蓼沼先生はこちらの本も出版されています。それでは。

 

 

 

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