新卒教員の教科書

私立高校一年目。『新卒教員としてのオリジナルテキスト』をつくろうという試みでブログを書いてます。社会科のこととかビビッときた本の書評とか日常生活のこととか。

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かぼちゃの馬車の問題が教えてくれること

より安全に、より快適に暮らしたい

こうした欲求の存在は、人類社会を発展させる原動力として機能してきた。しかし、過度な欲求の拡大は人類にとって毒となるようだ。

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かぼちゃの馬車問題

都内でカボチャの馬車という女性専用シェアハウスの物件数が急増加している。この物件を管理するのはスマートデイズという企業であり、物件のオーナーはサラリーマンや公務員などの個人が中心である。

スマートデイズのビジネスモデルは、オーナーが管理会社に物件を賃貸し、管理会社は入居者に賃貸するというサブリースと呼ばれるものだ。

簡単に言えば、管理会社が不動産を管理し、毎月の賃料をオーナーに一定額支払う家賃保証のようなものだ。しかし先月、社長自ら支払いが困難であることをオーナーに伝えた。

背景には需要を度外視した急拡大があるという。入居者がほとんどおらず、空き家状態になっている物件もあるそうだ。オーナーの多くは銀行から個人融資を受けており、自己破産のリスクに直面している人もいる。

問題点は二つある

ここでの問題は二つある。

一つは、スマートデイズの事業の在り方つまり需要を度外視した過度な供給である。必要のない物件ができたところで、需要がないのだから、多くの空き家が生まれるだけに過ぎない。

もう一つは、銀行の融資の姿勢である。つまり、融資対象の事業に対する目利きの甘さである。これには構造的な背景がある。

日銀の超低金利政策によって銀行が企業に貸し出す際の金利が低下し、収益が低下した。そうした中で銀行は新たな販路を個人に見出し、結果として個人への融資事業が活発となった。つまり、銀行が自己の生き残りをかけて、新たな金の貸出先を作り上げたのである。

ここでどのプレーヤーにも共通しているのは、それぞれが自己利益の最大化に努めている点である。

そもそも近代社会は個人の自己利益の最大化、つまり欲求の存在を積極的に肯定してきた。そして欲求の存在自体は肯定されるべきである。なぜならそれが人類社会の発展をもたらしたからだ。

より生活を楽にしたいから、農業技術が発達し、食料の生産性が向上した。より遠くへ行きたいから、交通手段が発達した。より安心に暮らしたいから、医療技術が発達した。

では何が問題かといえば、欲求を満たそうとした結果、欲求が満たされなくなったことである。つまり、際限のない欲求の拡大は社会に不利益をもたらすのではないかということだ。

物件の急激な増加は大量の空き家を生み出した。空き家はそれ自体が社会的コストである。また、事業の将来性を無視した融資によって、破産の危機を迎える人が大量に発生するかもしれない。破産までいかずとも、賃料収入が得られなくなった人は借金の返済によって生活は非常に苦しくなるだろう。確かに融資を受けた人の中には安易に「ウマい話に乗った」者もいるだろう。不安定な時代だからこそ、安定した家賃「保証」に飛びついてしまったのも、気持ちはわからないではない。甘い言葉にそそのかされた者がいるのは確かなのだ。

しかし、無責任にも銀行が収益拡大のために安易に融資した姿勢には正直なところ憤りを感じてしまう。

必要性を超過する供給

何度も言うが、欲求自体は肯定されてしかるべきだ。しかし、今回のように需要を無視したり、無理やり需要を生み出したりといった過度な欲求の拡大は自制されるべきだと思う。

なぜなら、欲求の際限なき拡大は社会に不利益をもたらすからだ。かぼちゃの馬車の破綻はそれを如実に示している。

かぼちゃの馬車の問題は社会全体の利益と資本主義をうまく両立させることの困難さを我々に教えてくれる。低成長の時代に突入した今、我々は欲求とどう折り合いをつけていくべきなのだろうか。