以前教師には感情労働を求められるという記事を書いた。
感情労働とは
感情労働は次のように定義される。
相手(=顧客)の精神を特別な状態に導くために、自分の感情を誘発、または抑圧することを職務にする、精神と感情の協調が必要な労働のこと。
感情が労働内容にもたらす影響が大きく、かつ適切・不適切な感情が明文化されており、会社からの管理・指導の上で、本来の感情を押し殺して職務を遂行することが求められる。
現場で働いていて、この説明は非常に腑に落ちる。
実際、対人関係を職務とする職種の人たちは納得される記述だろう。
教員の場合「別に本心では怒っていなくとも」叱らなければならない。
「別に楽しくなくとも」楽しい雰囲気を出した方が生徒指導上効率的である。
保護者対応においてもニコニコしていた方が「無難である」。
しかし、私は上に書いたような器用なことはできない。
叱るときは冷静に叱るし、楽しくいれるように日々心掛けている。
それでも、時には相反する感情を演じなければならない時がある。
感情のコントロールなのか、演技力なのか
教師の職務は、生徒の学びという目的にすべて結実する。
その遂行のために「表出」する感情をコントロールする能力が非常に求められていると思う。ここで、「表出」としたのは、その感情が実際の心の動きと連動しているか否かは問われないからだ。
だからこそ、心の底から楽しんだり、生徒を叱ったりする先生もいる一方で、「芸者」に徹している先生もいるのだろう。
どちらももたらす結果が同じであるならば、個人に合った方を選択すればいいと思う。
自分の場合は「現状において」心の動きと連動しない形で体を動かすことはできない。
だから、感情のコントロールをする方向性で訓練していくのだろう。
感情のコントロールの難しさ
以前、アドラー心理学にドはまりした。
しかし、アドラー心理学は自分には合わなかった。根本的な解決をせずに、データを上書きするイメージだからだ。体の不都合があっても、見えないふりをするようなイメージ。原因論の否定なんかは自分には全く合わなかった。
今はフロイトを勉強している。
自分の生育過程で奥底に染みついた心の反応は、容易には取り除けない。だから、それを認識することが感情のコントロールの第一歩となる。
心理学の重要性、大学の教職課程でもっと知りたかったなあ。