哲学対話を授業で初めて実施しました。その様子についてのレポートです。
そもそも哲学対話って?
みんなで対話を通じて考えを深めていくというものです。
授業をざっくり振り返るとこんな感じでした。
哲学対話を授業で実施しました。
— 新卒高校教員 (@dokomademoinaka) 2019年2月23日
「死」がテーマ。
「明日死ぬとわかっていれば、あなたは何をする?」
「余命宣告されたら、何をする?」
私も対話に参加しましたが、生徒の意見や問いに自分の考えが揺さぶられ、人生を見つめ直すきっかけになりました。
対話が始まる
今回は参加者が一人ずつ話したいテーマを考えて、多数決で決めました。
決まったテーマは「死ぬってどういうこと?」
中々深みのあるテーマ。私もファシリテーターとして参加しました。
哲学対話で特徴的なことは「無理に話さなくてもいい」という点。
ですから、無理やり発言を促すのではなく、ただ待ちます。ファシリテーターとして参加していますから話しやすいように些細なことを言ったり質問したりするようにしますが、基本的には私が対話を回すというようなことはしませんでした。
徐々にポツポツと
自分が聞きたいことを終えると沈黙が流れます。
初めてなので慣れない間に(あ~だれかしゃべんないかな~)と心の中で焦燥が…
そんな時に参加者がぽつぽつと意見を言い始めました。
「死は怖いもの。どうせ死ぬのに今勉強したりすることに意味があるのかな?って思う」
「終活が流行ってるけど、終活に備えている人は死を受け入れているのかな」
「じゃあやりたいことがある人は死が怖いのかな」
話題は変わり…
「もし明日地球がなくなるとわかったら、みんなは何をしているのか?」
「好きなことをする」「なくならないことを期待して平常通り過ごす」
「いや死はそもそも唐突に訪れるから準備なんかできない、だから悔いのないように生きたい」
「じゃあ余命宣告されたらどう?」
この問いで私の考えが大きく揺さぶられました。
生余命宣告されたら自分は死の恐怖が勝って何もできなくなると答えました。
しかし、生徒からは「余命宣告は残りの人生がどれくらいあるかっていう指標だから、精いっぱい好きなことをして生きたい」と。
衝撃が走りました。
自分にとって命が燃え尽きるまで没頭できることって、何があるんだろうか。
精いっぱい悔いのないように最後まで生きるには、具体的にどうしたらいいんだろうか。
あまりにも哲学的な、人生観を突き動かすような瞬間でした。
結論はださない
こんな感じのやりとりをしているうちに、あっという間に対話は終わりました。
哲学対話では結論は出しません。参加者の思考を深めることがポイントです。
最後にまとめを提示する一般的な授業と大きく異なる点ではないでしょうか。
授業者として難しいところ
実施して難しいと思ったところがいくつかあります。
1.全員が話すわけではない。
もちろん思考を深めているから話さないからかもしれませんが、そもそもテーマに興味がなかったり、安心して話せなかったりする生徒がいたので、テーマ選びやアイスブレイクを十分にやればよかったと思っています。
2.ファシリテーターの存在
だいたい20人で1つの輪になって対話をします。普段から話慣れているならまだしも内向的だったり、人の目を気にする生徒であれば、まず最初の一声は出さないでしょう。クラスの人数によっては教員の配置を考える必要があるかもしれません。
生徒からの意見
おそらく生徒も初めて哲学対話をしたんだと思います。
ビックリしたのは普段は話さない生徒が自分の意見を多く述べていたこと。
振り返りでは、こんな意見がありました。
- 対話の中では自分の意見を見直すことができた。
- 自分だけでなく他の人も死について考えていることがわかった。
- 人生の意味って何か考えてみたい。
多くの生徒は思考を深め、自分の見方を相対化できたようです。
日頃から考えることの大切さを説いていますが、こういう形で体験的に考えるということを学べるところに哲学対話の良さがあるんじゃないかなと思いました。
ちなみに今回哲学対話を実施しようと思ったきっかけはこの本を読んだことでした。