去年の教訓
去年、精神的にかなりまずかった時期がある。
その時は教材研究に追い込まれていた。
地歴公民科や理科の特徴であると思うが、大学や大学院での専門とは全く異なる科目を任されることはよくある。
専門ではないとはいえ、きっちりと授業準備をする必要がある。
いや、むしろ専門ではないからこそ、一からしっかりと理解して授業に臨む必要がある。
ということをどの科目でもやっていたら、当然時間が足りなくなった。
生活の大部分を教材研究に費やす。それでも、時間が足りない。睡眠時間を削る。頭が働かなくなり、効率が悪くなる。授業でも時間をつぎ込んだ割にクオリティが伴っていない上に、疲れているから、うまくいかなかった。それがストレスとなり、ますます効率を下げる。負のスパイラルが一度回ってしまうと抜け出すのは難しい。
反省を生かして…
今年は去年の失敗を徹底的に避けるよう行動してきた。
まず環境面で好条件となったのは、専門科目だけを持つことができている点だ。
学年はバラバラだが、教材研究をしても一定程度の汎用性がある。
また去年準備したものを一部活用することで、かなり楽になった。
余裕があることは、教員の精神状態に大きく影響する。
精神的な余裕は授業の中でも生徒に伝わり、それが授業の成否、生徒の好反応をもたらす。
生徒が安心して授業を受けるには、まず教えて側が精神的な余裕を持つことが必須である。
次期学習指導要領が授業改革を主眼としているのならば、教員の働き方改革はかなり大事なのであろう。肌感覚で理解できた。
そして、こうした経験は次のような信念を私にもたらした。
今の苦労はこの先の働き方改革につながる
そういう信念が実際の成功体験と相まって、今の自分を突き動かしている。
ただし、まだまだ時間感覚は甘い。
休日。ほぼ一日を教材研究に費やした。
— 白洲 (@dokomademoinaka) July 21, 2019
1つの授業のパワポやプリントを作るのにかなり時間がかかる。
クオリティに凝ってしまうからだが、授業準備を本務とすると生産性は非常に低い自覚がある。
夏休みにどれだけ準備できるかが勝負な感がある。
時間を意識して、有限な資源を教材研究に投下したい。
教材研究の積み重ね、このへんの改革が働き方改革の鍵になるのだろう。
そして、私はこういう余裕のある生活を求めているのだろう。
もし学生の方が読んでいるならば、とことん教材を用意することでかなり楽になることはお伝えしたい。