Shiras Civics

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「人生をどう生きるか」がテーマのブログです。自分を実験台にして、哲学や心理学とかを使って人生戦略をひたすら考えている教師が書いています。ちなみに政経と倫理を教えてます。

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大学付属校は日本にしかないらしい

 

大学付属校って海外にはないらしいです。

 

 

大学付属校が大人気になったわけは大学入試改革

 

こんにちは、しらすです。

文部科学省が東京23区内の私学定員厳格化をした影響で、私立大学が軒並み難化しています。仕事柄、中学受験と大学受験の動向は追いかけているものですが、大学入試改革によって多くの利害関係者が揺れ動いているなあと感じます。特に大学入試の変化は中学受験にも影響を及ぼしています。

 

diamond.jp

 

たとえば日出学園が目黒日大という形で日大の係属校になったり、香蘭女学校から立教大学への推薦枠が増加されたりと、有名私大との提携を密にする学校が増加しました。

伝統的な御三家とかは安定的に倍率が高く、受験生も変わらないんですが、大学付属校は倍率が上昇傾向にあります。日大系列のある学校は女の子の倍率が昨年比で200%を超えていたり、なんだかすごい勢いです。今後10年間は私学定員の厳格化が起こりますので、今後もこの傾向は続くでしょう。

 

当事者抜きで大学入試改革が進む一方、先行きの見えない大学入試を回避したい保護者・受験生の動向と、少子化で定員を充たすために内部進学生を確実に包囲するという学校側の経営的な動きとがあいまって、中学受験で付属校の人気が高まっています。ですから、大学付属校の独自性に人気が集まった、というよりも、大学受験の不透明性と競争の激化という社会的な要因で付属校人気が高まっているようです。

 

Colleges!

 

とか、もう周知のこと言ってもしょうがないので、ここから本題。

そういえば海外に大学付属校ってあるのかなあと調べていたら、どうやら日本だけにしかないらしいです。厳密に言えば、あるっちゃある。けれども、日本のように内部進学を認めている学校はほぼ皆無なわけです。たとえば、ハーバード大学の付属校があって内部進学できるなら、たぶん年間学費が100万ドルでも入学希望者は殺到しそうですよね。もちろんありません。受験大国の韓国にもないらしく、世界的にも非常に不思議な制度である大学付属校。実は戦前から続いている制度です。

 

日本で一番最初の大学付属校は2つ。

1つは立教中学校。もうひとつは東洋大学付属の京北中学校です。1898年のことでした。そして、慶應義塾普通部明大明治と続いていきます。

 

こんなに長い歴史を持つ大学付属校。なぜ生まれたのか、どうして存続してきたのか、内部進学は戦前からあったのか、などなど調べてみました。社会に揉まれ続けた、大学付属校の荒波の歴史をお楽しみください。

 

大学付属校が生まれたのは明治時代にさかのぼる

 

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先述の通り、大学付属校は日本に特有のものです。世界中のだれもがうらやむ内部進学制度や大学までの一貫教育。なんでこんな不思議な制度が出来たんでしょうか。

 

19世紀終わりから1930年代にかけて私立大学が付属学校を設置するようになりました。

厳しい規制を敷く政府に対する各学校の働きかけが功を奏して、悲願が叶い付属校の設置にこぎつけます。 

 

たとえば、次のように各学校が設置されました。

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出典:松本暢平「日本の私立大学の付属校に関する考察:戦前期におけるそれらの設置背景と内部進学」

https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=11057&item_no=1&attribute_id=162&file_no=1

 

設置の背景

 

Business

 

背景には経営上の理由がありました。

当時の私立大学は今と異なり、政府からの補助金がありませんでしたから、授業料収入を唯一の収入源としていました。ですから、財政基盤が非常に弱く、そうした経営状態の改善を図るために、中等教育へと手を伸ばし、大学附属中学校が設置されたわけです。

ただ、中学校の設置は法令上の制約が多く、また利益率もあまりよくなかったので、実際には経営の改善に付与していたかは微妙なところでした。それでもなぜ設置したかといえば、それは私学には学園としての一貫教育を完成させ、学校歴を伸ばすことで、学校文化を体得した者を社会に輩出するという理想があったからです。その学校の教育理念をアイデンティティとして身に付けた人物を社会に送り出し、またその子弟が学校に入れば、学校文化を再生産できるという狙いもあったんでしょう。

 

内部進学はあったの?

戦前から内部進学はありました。ただし、全員が上級学校に進学できるわけではなく、専門学校や大学予科などへ進学する生徒も多くいました。また、中途退学者も多く、現在のようにほぼすべての生徒が進学できるわけではなかったようです。

 

ちなみに大前研一さんは内部進学について辛口のコメントをしております。

www.news-postseven.com

 

まとめ

賛否両論ではありますが、付属校は生き残りをかけて独自の学校形態を発展させてきたわけであります。海外にはない日本固有の学校制度ですからネイティブの方に話したら、たぶんびっくりされます。話のネタにどうぞ。

それでは。

 

▼過去記事もご参照ください。

 

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