どうもこんにちは、しらすです。
本題ですが、本質的な仕事とは何でしょうか。
生徒の思いは
いきなりですが、生徒って基本的に「自分のことを見てもらいたい」のかなあと考えています。
僕は定時で帰りたい生き物です。
ですから、なるべく業務削減のために論述等のフィードバックはスタンプの種類を変えて対応してきました。
たとえば、5段階で設定してスタンプを使い分け、相当いい答えが書かれている場合のみコメントをする、という感じにしていました。
本質的な仕事は教材研究だと思っていて、これ以外の仕事はなるべく時間をかけないよう、速攻で終わらせる工夫をしてきました。
けど、今年は生徒の課題に対してコメントを書くようにしています。基本的には手書きで一人ひとり違うコメントを書いています。書く前は半端じゃない仕事量に途方に暮れるのですが、やっている最中は謎のアドレナリンが出て作業が進みます。生徒の思いが具体的に伝わってくるから嫌いではないんですが、何せ量が多い。正直きつい。
「今日をがんばった者…今日をがんばり始めた者にのみ…明日が来るんだよ…!」という感じで追い詰めておりました。
生徒の声は…悪くない
ただし、生徒達には非常に評判が良かった。
それは「全員分のコメントを書くという具体的な労働力」が「自分が見られているという感覚」を可視化しているからだと思います。
というのは、生徒たちからは「えっ!全員にコメント書いたんですか?」とか「ほかの先生は書いてくれないね~」というような意見が出ていたからです。
やっぱり一人ひとりの生徒の根底には「自分を見てほしい」という欲求があり、たとえ見れなくとも「見ているんだよ」というメッセージを送ることが信頼構築に重要なわけです。そして、それはコメントを書くとか具体的な行動を伴って初めて生徒が先生のメッセージを認識するわけですから、やはり労力は割かないといけない。
だけども、担任業務だったり、校務分掌だったり、教科以外の仕事が多く、教務に十分な時間を割けない先生は多くいます。そういう理由で私もスタンプで済ませていたんですが。あれもこれもとやっていたら、結局先生は「寝なくても大丈夫マン」しかできない仕事になってしまう。
本質的な仕事とは?
生徒の成長を支える上で信頼関係の構築は不可欠です。
授業も学級経営もコミュニケーションの一形態ですから、それが信頼的な性質であった方がいいに決まっています。
そうした努力は本質的な仕事でしょう。
ですから、何をどう効率化すべきか、という仕事の振り分けの基準は、子供の成長につながるかどうか、という視点で見て見るべきなのかなと思います。
(まあ、こんな感じで追い詰めてじり貧になるんですが」
ただ、これもまだ考える余地がある気がする。
それでは。