Shiras Civics

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「大人のための倫理、政治・経済」というテーマで色々書いてます。政経や倫理の講義、大学(中学)受験、書評、キャリア教育、社会科教育、時事問題、教師の日常などなどを発信してます。

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「優秀な人は教員にならない」という意見について教員が考えてみる

 

こんにちは、しらすです。

 

「優秀な人は教員にならない」という意見をよく耳にします。

今回はそれについて考えてみましょう。

 

 

優秀な人は教員にならない?

 

 

 

結論を言うと、2つめのツイートが答えです笑

 

 

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さて、そもそもこの意見は以下の問題を抱えています。

  1. 優秀の定義が謎だから業界を超えて比較しようがない。

  2. 印象論に過ぎない。

  3. 現職教員が発信することの影響(教員の自虐による教員の価値低下)。

 

一つ一つ見ていきましょう。

 

悩むダウンコート男性

 

問題点を考えてみる

優秀の定義が謎だから業界を超えて比較しようがない

 

「優秀」って何でしょうか?

大辞林(第三版)によれば、「他のものより一段とまさっていること」と書かれています。

つまり、「何らかの基準にもとづいて比較をした上で優劣を決め、その序列がより上位にあるものが優秀である」ということかと思います(簡単に言ったら、ランキング上位のことですね)。

 

「優秀」という言葉自体には、特定の基準は含まれていないので、「優秀ではない」とか「優秀だ」という発言の背景には、発言者の意図する基準が隠されていることになります。

この基準を明示しない限り、比較することはできません。

 

そして、だいたいこの基準というのは金を稼ぐ能力(要はビジネスエリートになる能力)のことを指しているかと思います。

というのは、「優秀な人は教員にならない」という発言は、裏を返せば、「教員以外は優秀(な人が多い)」とか「優秀な人は教員以外の職に就く」という発想があるので、労働市場における供給を指していると考えられるからです。

 

就活市場でホワイト企業とか大手企業に内定を得る能力とかですかね。

でも、そういう人たちも転職して教員になっている人いますね。

 

しかし、金稼ぎの能力が基準だとしても比較は困難です。そもそも学校教育の売り上げは基本的に①受験料収入、②授業料でしか上げられないので、売り上げには構造的に限界があります。

投資銀行やGAFAMのように大規模に事業を展開し、かつ高利益を上げるビジネスモデルではないので、この比較はそもそも民間企業と学校とでは困難な気がします。

 

印象論に過ぎない

前述のように、基準が明示されないまま「優秀な人は…」言説が跋扈しています。

ですから、データもないし、あったとしてもそもそも基準の欠如から比較もできないため、発言者の経験からくる印象論に過ぎません。

そして、金を稼ぐ能力と仮定するならば、業界ごとにビジネスモデルが異なりますし、収益が青天井の業界もあれば、学校業界のように構造的に限界のある業界を比較してもナンセンスになります。

こうした業界ごとの差異についてはこちらの本が詳しいです。

 

 

現職教員が発信することの影響(教員の自虐による教員の価値低下)

さて、ここまでは「そもそも優秀かどうかなんて比較のしようがないし、印象論じゃん」という話でした。

ここからは「それ、教員が言ったら、どういう影響が起きるかわかってる?」ということを考えていきたいと思います。

 

まず先ほどのツイートを見てみましょう。

 

まず、この発言の背景には、悲惨な働き方に苦しむ教員の方々がいる、ということが上げられるかと思います。

というのも、転職市場でホワイト企業の内定を勝ち取れなかった、だから教員になるしかなかった、という労働市場での競争に敗北した後ろめたい思いがあるのだと思います。

 

では、なぜこのような発言をするのか。

ここからは完全に推測ですが、ツラすぎる働き方から逃げられないから自分を卑下する方向に持っていってしまったのではないかなと思っています。

 

人はツラすぎる現実と適応するために、認知を歪める特性があります。

たとえば、理不尽な上司がいて、でもその会社にしがみつくしか選択肢がない、という場合には、「理不尽な上司」の裏に「愛がある」とか勝手に想像して、現実に対する認識を修正してしまう、という習性があります。

 

で、非常に辛い働き方をしているけども、それ以外に選択肢がない(転職市場において営業経験や特別なスキルのない教員経験者は確かにハードルが高いといわれます)。つまり、「逃げ場がない。この環境で生き続けるしかない。どうしてツラいのに働き続けるのだろうか。それは、自分が優秀じゃないからだ!」というように、辛い現実を変えるよりも、自分の現実に対する認識を変えて、妥協してしまったからではないかなと思います。現実を変えるのは難しいですけど、自分の考えを変えるのは簡単ですからね(この場合は歪められたという方が正しいですけど)。

あるいは、これだけ働いているのに、どうしてこれだけしか給与が出ないのか、という不満かもしれません。

 

International Communications 101: Stop.

 

けれども、ちょっと待ったといいたい。

それを現職教員が発信して、教員志望者が見たらどう思うか。

間違いなく悲惨な働き方を想像してしまった学生は民間企業にシフトしますし、教員志望者は減るでしょう。

それに教育業界全体に対する一般の方々の認識は悪いものとなるんじゃないでしょうか。

 

実際現場で働いてみて思うのは、教員の方々のマルチなスキルの高さです。

例えば、授業を展開するには、授業デザインや教科への深い理解、生徒たちを観察する力などが求められますし、学校経営においては社会情勢を見極め、保護者や受験生と良好な関係を維持し、対外的に発信していく能力が求められます。学級経営では生徒たちをマネジメントする能力が求められます。

 

また、有名な大企業から教員に転職した方々も大勢います。

「優秀」な教員はたくさんいるんです。

 

結局問題の所在は何なの?

「優秀な人は教員にならない」という発言の裏には、発信者の環境があるかと思います。ツラすぎる労働環境はその一例でしょう。

 

働き方改革は急務です。

ワークライフバランスというよりもライフを重視する社会的な風潮の中で、ワーク一辺倒な働き方が未だに教員の中でも一般的かと思います(かくいう私も土日は授業準備です)。部活動の改革も重要なところでしょう。

 

業務量が削減され、余暇を得て、自由な活動ができるようになれば、先生がたの不満も減るかもしれません。

また、余暇を重視する「優秀な」就活生も民間シフトから教育業界シフトへと舵を切ってくれるかもしれません。

 

先生という職業は楽しいですし、多くの先生が他の能力は高いと感じています。

胸を張って先生をしていきましょう。

 

働き方改革はあまり注目してこなかった分野ですが、今後、注力していきたいと思います。

 

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