Shiras Civics

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「人生をどう生きるか」がテーマのブログです。自分を実験台にして、哲学や心理学とかを使って人生戦略をひたすら考えている教師が書いています。ちなみに政経と倫理を教えてます。

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マンガ喫茶のススメ-最近のライフハック

 

この土日は予定がパーになりました。

風邪が流行っているから仕方ないです。

 

こういう何もない日は読書したり、授業準備をするんですが、家にずっといると飽きてしまうので、場所を変えて作業するようにしてます。

 

今まではカフェをよく使っていたんですが、最近はある場所にはまってます。

マンガ喫茶です。

 

 

カフェでの勉強をやめた理由

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家で長いこと作業していると気分転換が必要になります。

今まで勉強したり読書したりするのはカフェでした。

コーヒーが好きなので落ち着くんですが、やっぱりカフェは勉強には向いていないなあと思うようになりました。いくつか理由があります。

 

1.うるさい

これにつきます。

基本的にカフェはコーヒーやケーキを楽しみながらおしゃべりする場です。

都心の回転率が速いところなら常に満席で勉強なんてできません。

子連れの方もいますから赤ちゃんも泣きます。それはもう凄く泣きます。生理現象ですから仕方ありません。

 

2.たった一杯のコーヒーで長居すべきではない

都心であればカフェ難民が数多くいます。特に土日なんかはかなり混雑してます。

場所代も含まれているでしょうが、混雑している中で何時間も陣取られてしまうのはお店としても好ましくないでしょう。

実際、何時間もいないでね~という張り紙があったりします。

 

3.集中できない

集中を遮るものがたくさんあります。

皿の割れる音であったり、隣の人の会話をついつい聞いてしまったり。

ここで集中できる人は本当にすごいなあと思います。

 

カフェでも若干の例外はある

上のようなことが起きる理由を値段に求めました。だから少し割高のカフェに行ってみました。

次の3つです。

 

ルノアール

www.ginza-renoir.co.jp

 

椿屋珈琲店

www.towafood-net.co.jp

 

ホテルのラウンジ

お住いの近くのホテルを想像してください。

 

一番安いのはルノアールです。コーヒー一杯が600円くらい。

椿屋珈琲店は1000円くらいです。

ホテルのラウンジもあんまり椿屋珈琲と変わりません。

 

場所と時間帯によりますが、この3つは空いていることが多いです。

ただ、ホテルのラウンジ以外は土日でも混んでます。

ラウンジは静かなんですが、勉強する雰囲気じゃありません。

場違い感がすごいです。圧倒的場違い。

 

この中だとルノアールは電源もwi-fiもあるので良いなあと思いました。

 

マンガ喫茶にした理由

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1.静か

漫喫に来る方は1人の場合が多いですし、マンガを読むのが目的なので静かです。

 

2.料金が時間制なので回転を気にせずいつまでも居れる

だいたい5~6時間パックで1000円くらいです。

もちろん時間に応じて料金は加算されていくので、自己責任で上がっていく仕組みです。

 

3.個人スペースを選べば人の目がない

僕は毎回個室を選びます。

仕切られているので周りの目がありませんし、自分のやりたいことに集中できます。

また、調べ物をするときにスマホを触らずに済むので、ついついいじってしまう人には良いのかなあと思います。

 

4.勉強に飽きたらマンガを読んでリフレッシュ

実は僕、大のマンガ好きです。作業に一区切りついて休憩するときにはマンガを読めば大体リフレッシュできます。

 

5.ドリンクバーがある

もちろん薄利多売なので質は下がりますが、のどを潤すのなら、最高です。

 

6.お金が若干高い

5~6時間で1000円くらいですからコスパはいいと思います。

ただカフェに行くよりは割高になってしまいます。

お金をカフェよりも払っているので元を取ろうと思う気持ちが働いて、けっこう作業がはかどります

 

まとめ

以上、最近のライフハックでした。

 

カフェか漫喫かは好みがあるから分かれると思います。

ちなみに駅からちょっと歩く距離にある個人経営のカフェは大体空いているけど、勉強するような雰囲気ではないところが多い気がします。

 

家じゃ集中できない!という方は一度マンガ喫茶を使ってみてはどうでしょうか。

みなさんも風邪にはお気をつけて。

それでは。

そもそも統計とは何か?-言葉と歴史から整理する-

 

毎月勤労統計に誤りがあることが発覚した。

news.yahoo.co.jp

 

ニュースで出てくる社会の動向の多くは統計を基にしている。

だが社会事象を把握する根幹の統計に不備があった。

 

ここでそもそも統計とは何かを整理してみたい。

 

 

日本語から-辞書

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大辞林には次のようにある。

集団現象を数量的に把握すること。一定集団について、調査すべき事項を定め、その集団の性質・傾向を数量的に表すこと。(大辞林第3版より)

 

ある集団がどんな行動をするか、どんな性質を持つのか、数字的に把握できるものが統計である

なるほど、社会心理学とか実証系の学問で不可欠だなあと思う。

 

英語では

英英辞典を引いてみた。

The practice or science of collecting and analysing numerical data in large quantities, especially for the purpose of inferring proportions in a whole from those in a representative sample.

https://en.oxforddictionaries.com/definition/statisticsより

 

特に代表的な標本の比率から全体の比率を推測するために、大量の数値データを収集し、分析する実践ないし科学のこと。

つまり、一部分のサンプル(標本)の比率を「全体に当てはめても同じような比率になるんだろう」と推測する。そのために、大量のデータを集めて分析すること自体とその科学的方法のことを統計という。

 

そもそも明治時代にstatisticsの訳語として統計が使われ始めたことから、定義は日本語と同じである。では歴史的に見るとそもそも統計は何のために使われ始めたのだろうか。

 

歴史から-近代国家との関係

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統計の歴史的源流には次の3つがある。

  1. 国の実態を捉えるための統計

  2. 大量の事象を捉えるための統計

  3. 確率的事象を捉えるための統計 

 

第1の源流-国家動態の把握

古来より徴税や兵役のために人口実態を正確に行う必要から為政者によって行われてきた。

特に近代ヨーロッパにおいては、産業や人口の動態を正確に把握することで国家の繁栄に結び付けようとしたことから発展していった。

18世紀から19世紀においては国家運営の基礎として統計を用いる重要性が認識され、統計調査・統計制度の整備が積極的に行われるようになった。ナポレオンは1801年に統計局を設置し、以後政府による統計整備が進んでいった。

 

第2の源流-大量の事象の把握

その開拓者はイギリスのグラントという人物である。彼は当時ペストに度々見舞われたロンドンにおいて、教会の資料を基にし志望統計表を分析し、一見すると偶然に見える人口現象の背後に一定の法則があることを見つけた。

 

その後、エドモンド・ハレーがこうした手法を科学的に発展させる。彼は人間の死亡において一定の秩序があることを見つけた。つまり、ある人口集団における死亡に対して、それを予測し得る一定の法則があることを明らかにしたのである。

これによって生命保険会社は合理的な保険料金を算出することができるようになった。

※ハレーはハレー彗星の発見者である。

 

第3の源流-確率的事象の把握

確率論はパスカルフェルマーらによって基礎づけられていった。

後に人口推計や年金論などに応用されていった。

 

こうした3つの潮流を統合したのが19世紀半ば、ベルギーのケトラーである。

確率論を社会統計に導入し、科学的な統計としての体裁が整う。社会現象や自然現象を数量的にとらえることで科学的な分析が可能になった。

彼は公的統計の改善や世界的な統計機関の設立に尽力し、近代統計学の祖とされている。

 

統計が現在のような科学的な手法として位置づけられるのは19世紀以降、近代国家においてである。

 

結局統計とは?

統計とは、社会集団の行動パターンの傾向や集団の性質を数量的に表すものである。

統計によって異なる集団間での比較や同一集団における時間的な変化を比較することができる。すなわち横と縦の比較ができる。

また、ある集団において「ある行動をしたらこうなった」という因果関係を見出すこともできるだろう。それによって行動改善の手立てとすることも可能になる。

 また人口動態や給与の変化など政策立案の根幹でもある。

 

統計学は最強の学問?

統計に関する学問が統計学である。ずいぶん前から統計学が最強の学問である』という本が出版されているが、目もくれなかった。

統計の効果が社会動向を掴むことにあるとすれば、数量的なエビデンスを基にして考えるための前提となる学問である。

とりあえず記事を書いている途中にアマゾンで買った(笑)

 


統計学が最強の学問である

 

教育の動向は-エビデンスで考えよう

教育においても統計、すなわちエビデンスで考えることがトレンドになっている。

 

私自身も「わけのわからない根性論」や「狭い世界だけでの感覚的な経験則」、「理不尽な因習」に依拠して意思決定をしたくないので、この流れを歓迎している。

そうした流れは教育政策や子育てといったありとあらゆる領域に浸透し始めている。

 

この間あるシンポジウムに参加した時、エビデンスベースドポリシーメイキングという言葉が何度も言われていた。

曰く、授業改善の手立てとしてデータを収集して、統計を活用していくということだ。

 

ただ統計はあくまでも意思決定の材料であって、それを金科玉条のごとく絶対視してはいけない。

 

さて、冒頭の毎月雇用統計の不備の問題に戻ろう。

統計を基にして国家運営が行われている。政策決定の前提が間違っているとすれば、影響は様々なところへ及ぶだろう。

給付金が少なかったり、統計の見直しが行われたり、すでに各所で社会的なコストが生じている。統計、侮るべからずである。

 

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そもそも情報とは何か?―簡単な用語の整理—

 

「データ」に引き続き、「情報」とは何なのかを整理したい。

 

 

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情報とは-日本語から

 

辞書を引くと次のようにある。

①ある物事の内容や事情についての知らせ。「事件についての情報を得る」

②文字・数字などの記号やシンボルの媒体によって伝達され、受け手に状況に対する知識や適切な判断を生じさせるもの。「情報時代」

③生態系が働くための指令や信号。神経系の神経情報、内分泌系のホルモン情報、遺伝情報など。

デジタル大辞泉より)

 

3つもある。

全く持って何のことやらという感じだ。

 

言葉を分解してみる-漢字の視点から

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辞書で引いてもわからないなら、さらにさかのぼってみる。

そこで「情報」を分解して考えてみたい。

 

まず「情」である。

「情」とは、まこと(本当)のことであり、次の3つの意味がある。

①本当の気持ち
②事実
③物事の状態、様子

 

次に「報」である。

主な意味として

①むくいる
②知らせる

の2つがある。

 

これらをふまえれば、情報とは

 知らされた、あるいは知らせた事実や物事の状態・様子

 となるだろうか。

 

英語では

 

情報は英語でinformationである。

informは知らせるという意味の動詞であり、-ationは動詞に付く接尾辞である。

-ationには①その行為自体②その行為の結果として生じたもの、という2つの意味がある。

したがって、この場合においては

①知らせるという行為
②知らされたこと(知らされた結果として生じたもの)

 となる。

 

知らせるという行為は伝えるという行為を内包する。

すなわち、ある事実が伝えられ、それを伝えられた者が知る(認知する)と、その事実は情報となる。認知しない情報は受け手にとっては存在しないものと変わらない。

 

こうしてみると、情報が「情報」として受け止められるには、言語などの媒体を共有する必要があることがわかる。たとえば、英語や日本語を共有していれば認識できても、アラビア語を共有していなければそれは謎の記号でしかない。

こういうところにグーグル翻訳のすさまじい価値を感じる。

 

また、知らされて結果として生じた者が情報ならば、それはなんらかの考えや判断かもしれない。情報の受け手の頭の中に生じた変化をも含むのが情報なのである。

 

結局情報とは?-データとの違い

 

①データとは単なる事実であり、それを考えの材料として活用すれば情報となる。

 

データは加工されることで、情報という「有意味」のものとなる。

ここにおける加工とは「考える」という営みであって、そもそも考えるとは段階的なものである。

したがって、1つではなく、複数のデータの組合せが考える対象となる。

 

② データ(事実)が伝達され、それが受け手に認知されることで情報に変化する

 

すなわち、情報には

①処理
②伝達

という2つの側面があるといえる。 

※①は前回の記事から、②は今回整理した結果として得た定義です。

 

情報化社会とは-IT革命の意義

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情報には伝達処理という要素がある。
かつては人間のみが担っていたこの行為をコンピューターが担うようになった。

この爆発的な普及がIT革命によって生じた。

 

IT革命とは(※長いので太字だけでも結構です)

広くはコンピューターによる通信ネットワークの発展がもたらした、社会全般にわたる構造変革をさす。とくにアメリカでは1990年代初頭からインターネットが普及し、企業活動から行政サービス、文化・学術活動まで、市民生活の様々な場面で情報の活用が進んだ。各種の規制緩和に支えられ、オンライン・ショッピングや株取引をはじめとする電子商取引(Eコマース)、新聞・雑誌・書籍などをインターネット上で配信する電子出版など、既存の流通構造や商習慣にとらわれない新しいマーケットが構築された。一方、ソフトウェアやコンテンツなど、コンピューターの周辺分野でも様々なベンチャービジネスが生まれ、大企業をしのぐ売り上げを計上するものも現れた。それがさらに株式市場の活況につながり、アメリカは空前の好景気を享受した。これに対し日本は、インフラ整備や規制緩和の遅れによって大きく引き離されている。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目辞典より)

  

人間だけで処理・伝達できる情報には限界があった。

しかし、インターネットの普及によってその総量が飛躍的に増大したのだ。

爆発的な情報の拡大は市場、すなわちフロンティアの拡大である。

だからこそ、情報を活用したビジネスが大量に出現し、さらには情報保護の必要性という法的な変化も生まれてきたのである。

アメリカでは90年代ITバブルが起きた。IT革命の勝者の果実だろうか。今ではGAFAが躍進し、世界中でIT規制の流れが起きるほどの脅威となっている。

 

さらには個々人が簡単に情報を生み出せるようになった。

現に私も皆さんにブログを通じて考えを伝えている。

 

現代社会は情報の海に浮かんでいるのである。

前述のとおり、情報は共有された言語でしか意味をなさない。

それゆえに、言葉を大切にして情報を見極めていきたい。

  

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そもそもデータとは何か?-簡単な用語の整理-

 

今年のセンター試験現代社会。

第5問にはこんなリード文があった。

 

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2段落目で示されているのはデータ分析である。

 

第4次産業革命の流れの中でビッグデータに注目が集まっている。

中には貨幣ではなく情報が価値を生むようになる、と言う者もいる。

 

そうした世相を反映してか、多くの大学でデータサイエンス関連の学部新設が続いている。

国公立大学では東京大学広島大学滋賀大学山形大学横浜市立大学など。

私立大学では津田塾大学東京理科大学中央大学武蔵野大学工学院大学などが続く。

 

データサイエンスに従事する友人に聞いたところデータ関係の研究者は人材難で引く手あまただそうだ。企業のリクルート活動は非常に盛んらしい。

 

グーグルやアマゾンも本腰を入れてリクルートしているというデータサイエンティスト(この記事ではデータアナリストとは区別せずにデータサイエンティストと呼びます)。

 

学問分野として未知数であり、ビッグデータという概念も近年注目され始めたもの。

 

だが、社会の変化はいやがおうにも進んでいく。進路指導をしていてデータサイエンス学部を志望する生徒もちらほら出てきた。

 

後々のためにも色々と調べようと思ったが、まずは初歩から。

 

そもそもデータとは何なのか?

そこから整理していきたい。

 

 

データとは-日本語から

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大辞林にはこう書かれている。

①判断や立論のもとになる資料・情報・事実

②コンピューターの処理の対象となる事実。状態・条件などを表す数値・文字・記号。大辞林第3版より)

 

一方で、図書館情報学用語辞典には以下のように書かれている。

既知の事項や判断材料。研究に活動においては、調査や実験により得られ、考察の材料となる客観的な結果である。一方、情報処理システムの処理対象でもある。また、データは情報を生み出す材料とみなされることがあり、評価の加えられたデータを情報と定義し、データ、情報、知識という階層関係を強調する立場がある。データを情報といいかえても差し支えない場合も多く見られ、こうした関係付けの一般化には十分な根拠はないが、これにより潜在的な情報(データ)と実際に受容された情報とを便宜的に区別することができる。図書館情報学用語辞典 第4版)

 

データとは考える材料としての事実や資料であろうか。

  

英語ではどうか?

 

dataを英英辞典で引くと以下のように書かれている。

information,especially facts or numbers, collected to be examined and considered and used to heip decision-making, or information in an electronic form that can be stored and used by a computer

dictionary.cambridge.org

 

これを訳せばこんな感じだろうか。

(学術研究などの)調査や考えるために集められたり、意思決定の助けになったりする事実や数字などの情報。

あるいはコンピューターによって保管・処理が可能な電子的な形の情報のこと。

 

考える材料という点では日本語の定義と共通している。

 

結局データとは?

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データとは単なる事実である。それを加工すれば情報となる。

つまり、データを活用して判断したり、解釈した結果が情報となるのだ。

 

ビッグデータの時代においては解釈の材料が大量にある。

 

それを活用するのが人間の力量というわけだ。

したがって、データは考える時に使われて初めて価値を持つ。

ビッグデータがあっても解釈できなければ意味がない。データ分析のスキルを持つ人材が求められているわけである。

 

ただしデータ至上主義に陥ってはいけない

大量のデータによって様々な情報が手に入るようになった。

ただ留意しなければならないことがある。

それはデータ至上主義に陥ってはならないということだ。

 

そもそもデータ自体の信用性は担保されているのか?

意図的に改ざんされていないだろうか?

 

常に批判的な眼差しをもってデータに接しなければならない。

 

企業のデータ改ざんや省庁の隠蔽が多く取りざたされる昨今。

データが価値を持つ一方で、データの価値を貶める出来事が続いているのは皮肉なことだなあと思う。

 

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センター試験2019年政治経済、ほんの一部だけ解説してみる

 

今年のセンター試験政経、解説します。

完全にやっちゃえ先生に触発されて動いております。

 

www.yacchaesensei.com

 

選択肢の形式が変わったり、やや難化か?と思いました。

でも、基本的には、用語の定義だったり、年号であったりと、知識が正確に定着しているかどうかを確かめる問題だと思います。

 

  

ただただ覚えるだけの問題

第3問 問6 統治機構の問題です。

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ここで確認すべきは

天皇の国事行為、国会の権限、国会議員の権限、内閣の権限、
内閣総理大臣の権限、(裁判所の権限)、三権分立相互の関係

です。

 

たとえば国会の権限だけでこんなにあります。

法律の制定(41、59)、条約の承認(61、73)、憲法改正の発議(96)、内閣総理大臣の指名(67)、財務の監督・財政の処理(83)、課税に対する議決(84)、予算の議決(86)、決算の議決(90)、財状況の報告処理(91)、弾劾裁判所の設置(64)

  

 多すぎるし、なげえ~!

 (受験生の声)

 

…あと内閣と内閣総理大臣と(以下省略)

 

このへんの政治制度の授業って単純に知識習得を目的にすると恐ろしく退屈なものになります。

理想としては講義ならストーリー形式で授業をしたいなあと思ってますが、理解不足から全然踏み出せてません。

ちなみに地方自治制度を扱った本として、こちら非常におすすめです。ストーリーだからスラスラ読めます。

 


あなたのまちの政治は案外、あなたの力でも変えられる (ディスカヴァー携書)

  

答えは③。

①の国務大臣の訴追は内閣総理大臣の同意が必要ですし、②④は内閣の権限です。 

知識を正確に覚えていれば簡単に解ける問題でした。

 

考えさせる問題も

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こちらは外部不経済に関する問題。

外部不経済というのは外部効果の一種。市場の限界のところで学習します。

 

外部効果とは市場での取引が売り手と買い手以外の第三者に影響を与えることを言います。あるいは第三者が市場に影響を与えることです。

 

外部効果の中でも

  • 良い影響は外部経済 
  • 悪い影響は外部不経済                    

と分けることができます。

 

たとえば①を検討してみます。

 

猛暑(市場の外部要因)が飲料メーカーの売上の上昇(市場における行動)に寄与した。

 

はい、いい影響なので①は外部経済です。

②は投資家の売り(市場における行動)によって株価が下がっているだけなのでそもそも外部効果ではないです。

③もいい影響なので外部経済。

はい、消去法で④になりました!

 

ちゃんと検討します。 

                 

④大規模娯楽施設の建設によって交通量が増え、近隣住民は住宅の防音対策をしなければならなくなった。

 

防音対策は住民が原因ではありません。にもかかわらず、その対策費用を負担しなければならない。市場外部の要因によって不利益を受けている。

ということで、④は外部不経済なので正解。

 

抽象的な概念を具体化する訓練を日ごろからどれだけできているかが問われている気がします。

「たとえば何がありますか?」っていうなにげない発問、めちゃくちゃ入試対策になるんですね…

 

市場の応用理論も出てきた

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市場メカニズムの問題はほぼ毎年出てます。

共通プレにも出てました。

 

こちらはインセンティブについての問題。

まず市場メカニズムというのは需要と供給を通じて価格が決定する仕組みのこと。

このメカニズムを通じて、資源の最適配分(需要と供給が一致する状態)が実現します。

 

次にインセンティブはある行動を起こさせるための外からの刺激のこと。

 

問5の場合で考えると、

商品や税などの金額を操作することで、環境保全にふさわしい行動を人々が取るよう誘導するということです。ここでは価格操作がインセンティブです。

 

これらの情報をふまえた上で各選択肢を検討しましょう。

①は炭素税のこと。税額を操作するインセンティブですので適当です。

②操業停止は金額の操作ではない単純なペナルティです。よってインセンティブとして適当ではないため②が正解になります。

エコカー減税などが当てはまります。税額操作によるインセンティブのため適当です。

④商品の価格を操作する。よって適当です。

 

市場メカニズムの正確な理解、そしてその原理を選択肢の文と照合して、当てはまるかどうかを考えさせる問題でした。

 

炭素税やエコカー減税などを地球環境問題だけでなくて、

市場概念などと結びつけられるか、そこまで深く学習できているかが受験生にとって分かれ目と言えそうな問題です。

 

今話題になっている話も

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2019年度からマクロ経済スライドが発動されるそうです。

簡単に言えば、年金がほんの少し目減りする、という話。

 

さて、社会保障は国家的に大きな課題。

当然、僕らに大いに関係する問題です。

 

結論ですが、正解は②です。

でも僕が注目したのは①

年金給付の国庫負担割合は2009年から3分の1から2分の1に引き上げられました。

つまり、人々の負担が増えているってことです。

 

ただ、今の社会保障のトレンドは介護と医療。

学者さんたちの間だと年金はあんまり重視されていないそうです。

社会保障の4本柱?何それ?という状態らしいです。学校と学問で大きく乖離しているらしい…

 

でも、ここで年金について知らなきゃなあ、考えなきゃなあ、という強い思いをこの問題を見て思ったわけです。

さて、まとまらなくなってきました。

 

今後に向けて

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拙い解説を最後まで読んでいただいてありがとうございます!

 

それでは。

21世紀型教育とは?-大橋清貴ほか『AIに負けない自分で考える子供を育てる21世紀型教育』秀和システム

 

改革校として躍進しつつある学校は意外とある。

 

三田国際学園もその1つ。

本書は三田国際学園の現校長が執筆した本であり、その教育観と学校の教育実践の一端を知ることができる。

それが21世紀型教育である。

 


AIに負けない自分で考える子どもを育てる21世紀型教育 [ 大橋清貫 ]

 

 

三田国際学園について

三田国際学園とは?

東京都世田谷区用賀にある中高一貫校。近年改革校として注目されている。

 

沿革

元々女子校だったが、2015年に三田国際学園中学校・高等学校として共学化。

教育理念は知好楽。

 

教育の特色

変化の激しいこれからの社会を生きる子供のために5つの力を伸ばす世界標準の教育を展開する。

  

 国際共通語である「英語」、それを使って思いを伝えあう「コミュニケーション能力」、科学を理解する「サイエンスリテラシー」、情報を使いこなす「ICTリテラシー」、そして、それらの確かな知識とスキルに裏付けられた『考える力』。 (ホームページより引用)

 

具体的には以下の取り組みを中心に行っている。

  1. 相互通行型授業…毎回の授業で生徒に「トリガークエスチョン」を投げかけ、学びを促進する。
  2. 英語教育…それぞれの目標にあった英語教育を実施し、日常的にその力を強化する取組を行う。
  3. サイエンス教育…科学を見る目としての「サイエンスリテラシーを養う教育を行う。
  4. ICT教育…一人一人がタブレット端末を持っており、情報社会に必須のリテラシーを養う。
  5. 学習支援…考える力の土台としての基礎知識を定着させるために小テストの実施や学習支援を教員が積極的に行う。
  6. 教員研究…全教員が世代、教科に関わらず教育力の向上のために定期的に研修を行う。

 

4つのコース

  1. 本科コース…いわゆる普通科であり、キャリア・学習面でのサポートが充実している。
  2. メディカルサイエンステクノロジーコース(MSTC)…入学した時から「基礎研究」を行うことで、研究スキルを身に付け、科学的思考力を高めていく。
  3. インターナショナルコース スタンダード(ISC)…留学制度が充実しており、ディスカッションやプレゼンテーションなどを英語で日常的に行うことで、使える英語力を身に付けることを目的としている。
  4. インターナショナルコース アドバンスト(ICA)…英・数・理・社の授業をAll Englishで実施し、海外大学への進学を視野に入れた指導を行う。

 

www.mita-is.ed.jp

 

本書の内容

本書の構成

第1部 21世紀型教育について。

第2部 三田国際学園をモデルとした21世紀型教育の実践について。

     大橋校長と教育研究家である本間勇人氏の対談。 

第3部 21世紀型教育が必要とされる背景について。

 

21世紀型教育とは?

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いわゆる一斉講義のような知識教授の授業、これを20世紀型教育という。

20世紀型教育は戦後すぐから高度経済成長期にかけて必要とされた教育。

それに対して、現在求められているのは21世紀型教育である。

 

では、21世紀型教育とは何か?

それは教科書に書かれていることを教えるのではなく、教科書に書かれていないことを生徒が考え、解を見つけるという形の教育である。

世界で日本人が勝つには、考える力を伸ばし、海外の人と議論できるレベルの英語力を身に付けることが重要という。

だから、従来のような教育ではなく、三田国際学園では考える力を養うハイレベルな内容の授業をしている。

ハイレベルというのは、照準をクラスの上位2割にあわせるという意味である。学部レベル・大学院レベルの話もするんだとか…

 

当然こうした教育に賛同する人、つまり三田国際学園の保護者も従来のような伝統校・名門校、高偏差値校、大学合格実績のある学校に魅力を感じる層ではない。

校長は彼らを新しい物好きのイノベータータイプだと述べる。中には海外で戦っているような企業で働く保護者が一定数いるらしい。

 

保護者をマーケティング的発想から分類しているところからも、校長先生はかなりビジネス的な考えをしていると思った。

たとえば、保護者を顧客や投資家と呼び、成果を出して還元するという風に述べている。

考え方のベースはトマス・フリードマンの「フラット化された世界」にあるそうだ。

 

学校のフォロー

校長自身が思考力(創造力、批判的思考、問題解決能力)を伸ばすために教科書以上のことを授業で扱えといっているため、 学部レベル・修士レベルの教育をしているところもある。

 

けれども、そうした取り組みに対する批判もある。

 

思考の前提に知識があるんではないのか、とすればいつ知識を注入するのか?

 

これに対して校長は「生徒が自主的に教科書をやる、自分でどんどん勉強していく」と述べている。

 

これを見た時に

 

自主性にゆだねる性善説か…

 

と思いきや、実はちゃんと根拠があった。

  1. 教室に考えをどんどん発展させる生徒がいるということ(知的な刺激を受けるという外的要因)
  2. 朝の習熟度確認テスト(クリアしないと先に進めない)という定期的な知識の確認

 

曰く、生徒は進んで勉強するそうだ。だが、要領が悪い生徒にとってはかなりきつそうだなあとも思う。

 

それと、数分間のテストで数科目の確認ができるのだろうか、偏りはないだろうか、と疑問に思った。

 

思ったこと

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ハイレベルな授業の実施には教員の高い能力が前提である。

だからこそ、校長は様々なインセンティブを設定することで学校全体でのエンパワメントに努めている。

たとえば、論文コンテストなどのインセンティブや定期的な教員研修など。

褒賞を与え、モチベーションを上げるという手法はやはりビジネス的である。

バリバリ働きたい人にはとてもいい学校だろう。

 

背景には校長の危機感

校長は次のように言う。

 

2029年にシンギュラリティが起こる。

そうした中でもAIに代替されずに戦えるために、生徒には思考力という武器を持たせたい。

 

だからこそ、授業は生徒が思考を深められるものとなっている。

思考力は教科書にはない解を生徒が求めることで磨かれる。

そのために、生徒は教科書を超えた内容を考えることになる。

それが時には学部・修士レベルとなることもあるのだ。

 

授業は教員が発するトリガークエスチョンを起点に生徒がグループになって考えていく。

つまり、教員に求められるのは生徒が考える価値があると思うような発問を発すること、およびそのための教材研究である。

 

こうした思考訓練を積んだ生徒に囲まれているため、教室は競争的で刺激しあえる、時には助け合う(共創)の雰囲気だとか。

 

自分一人で考えるだけでなく、他者とともに意見を交換し、視野を広げ、考えを発展していく、まさに議論に適した場だなあと思う。

 

ただし、この本に書かれていることが校内すべてで実施されているのならばということには注意したい。

 

疑問

三田国際学園の教育理念と実践の概略を知るにはうってつけの本だと思う。

ただ、いくつか?と思うところもあった。

  1. 思考力の定義が簡潔だと感じた。たとえば思考力を創造力・批判的思考力・問題解決能力としているが、具体的にそれが何なのかはここでは示されていない。
  2. 論証過程にも難があったかと思う。校長の教育観はトマス・フリードマンの言う「不確実な社会」をがっつりベースにしている。しかし、不確実な社会で「こういう能力が必要だ!」と推論できるのか?という疑問を持った。 

ロシアの行動原理とは?

 

超大国の不在。

 

中国の経済的・軍事的台頭によってアメリカの地位が相対的に低下し、国際秩序が変動期に入っている。

 

そうした変化の中で一定の地位を占める国がある

ロシア。

 

日本との平和条約締結に向けた日ロ交渉、中東でのシリアへの介入、ウクライナへの軍事介入、アメリカ大統領選挙への介入疑惑など…

 

ニュースには大きく出るのになんだかよくわからない。

謎の大国、ロシアについて調べてみた。

グローバル化の進む現代において各国の特徴を理解することはもちろん、日本の隣国に目を向けることは悪いことではないだろう。

 

  

プーチンの圧倒的な地盤

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プーチン、実はかなりのエリート。

レニングラード大学の法学部を卒業後、ソ連のスパイ機関であるKGBに。

その後サンクトペテルブルク市の副市長などを経て、大統領になった人物である

 

プーチンは厚い支持基盤を持っている。

それは彼の大統領時代に経済が回復し、それを人々が「プーチンの業績」だと錯覚したから。

 

どういうことか。

ロシアの前身であるソ連は1991年に崩壊した。

崩壊直前のソ連経済はガッタガタ。社会主義から資本主義へと移行したことで経済が混乱していた。

そのため、ロシアの初代大統領エリツィン時代(1991~1999)は経済が混乱していた。

しかし、次のプーチン時代(2000~、一時首相、のち大統領に復帰)には経済が回復する。

ただし、ロシア自身の要因ではない。

中国などの新興国が台頭したことで石油や天然ガスなどのエネルギー資源の需要が高まったことが要因とされる。

ロシアは実はかなりの資源大国である。

資源ブームに乗って経済が回復した。そしてそれをプーチンの業績と民衆が錯覚した。

だから、プーチンは圧倒的な支持を得ている。

 

しかし、国内のインテリは「実は違うんだ」ということを知っているために度々でもが起こったりする。

 

ちなみにプーチンは地盤強化のために宗教勢力も動員している。ロシア正教会である。

 

ロシア経済の脆弱な構造

もちろんロシアは資源に依存した経済構造のため、その土台は不安定だ。

 

ロシアはパイプラインでヨーロッパへ天然ガスを供給している。

しかし、ウクライナ危機でそれを武器にするなどヨーロッパにとっては極めて不安定な供給減だった。

 

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そんな中でシェールガス革命が起きた。

中東の石油の価値が低下する(中東の油田地帯の確保で介入を繰り返したアメリカはシェールガス革命で中東に興味を失った)。

湾岸産油国は焦る。

そんな中ウクライナ危機が起こる。

中東はヨーロッパへ「ロシアよりも」安価に石油を輸出すると持ちかける。

ここにヨーロッパと産油国の間で合意が成立し、新たな資源供給先を欧州は見つけたのである。

 

ロシアは切羽詰まる。

 

「資源で持っている経済が終わる」

 

そこで目を付けたのが、東の果ての日本だった。

樺太からパイプラインを作って日本へと直接天然ガスを供給するという計画を持ち出した。

これは日本にとってもメリットがある。というのは、天然ガスは一度液化してタンカーで運ばなければならない。さらに陸揚げしてからまた気化して都市ガスとして利用するため、いちいちコストがかかる。しかし、パイプラインならその手間も省ける。

ただロシアにはパイプラインを作る資金も技術力もない。そこで日本に協力を、という運びだ。

 

北方領土交渉が加速したりしなかったりするのはロシア側の要因も大きい。

 

ロシアが日本に接近した背景にはロシアの経済構造と国際経済における変化(シェール革命)があったのだ。

 

ロシアの行動原理

ロシアは侵略に恐怖を持つ国である。

シベリア出兵やナチスドイツのソ連侵略など…

 

ちなみにプーチンの兄がドイツの侵攻を間接的な理由としてなくなっている。

こうした恐怖がソ連(ロシア)の周囲に衛星国を置く戦略の根本にある。

たとえばソ連時代の東ヨーロッパなどである。

それをふまえてウクライナ危機を見れば、すんなり理解できる。

 

ウクライナはロシアと国境を接し、文化を共有する距離の近い国である。

冷戦時代はここでソ連の兵器が多く作られていた。

そのウクライナにEU加盟の世論ができた。

もし加盟すればロシアとEU加盟国が国境を接する。もしかしたらNATOウクライナが加盟するかもしれない。そうしたらロシアは侵略の危機に陥るかもしれない。

 

侵略の恐怖がロシアを動かした。

ウクライナの西部はEU寄りだが東部はロシアよりである。この東部の住民に働きかけてロシアが分離独立運動を促したのである。

以後、ウクライナは東西で対立状態が続いている。

 

さらにロシアはクリミア半島を併合した。

それはロシアの気候に注目することで分かってくる。

 

ロシアは寒冷で冬の間は港が凍る。だから、長年不凍港を求めて戦争を重ねてきた。

南下政策である。

大英帝国が7つの海を支配した時代は海軍力がものをいう時代だった。

だから、ロシアとイギリスはユーラシア大陸をまたにかけて覇権争いを繰り広げる。

しかし、ロシアはイギリスに敗れ、結局不凍港を手にすることができなかった。

 

一転して冷戦時代である。

世界中に社会主義国家が出来ていった。

ここにシリア情勢にロシアが介入するヒントがあった。

 

シリアは社会主義政策を採用していた。

その関係からソ連と距離が近く、それはロシアになっても続いていた。

 

シリアにはロシア軍の基地がある。タルトゥースという地中海に面した軍港である。

もしアサド政権が倒れればロシアの軍港が失われる。積年の夢の結実、不凍港である。

 

だから、ロシアはアサド政権側に支援の手を差し伸べるのだ。

 

さて、そもそもロシアが不凍港を求めたのは冬に凍る港しかもっていなかったから。

けれども、その事態にも変化が起きている。

 

気候変動による変化

地球温暖化によって北極海が脚光を浴びている。

今まで分厚い氷に覆われていた北極海

しかし近年の気温上昇により氷が解け、新たな輸送ルートや資源開発の対象として注目されているのだ。

 

北極海をめぐって熾烈な争いが起こるかもしれない。

日本も無縁ではないかもしれない。

 

まとめると

ロシアの行動原理は次のようにまとめられる。

  1.  侵略の恐怖による緩衝地帯(衛星国)の設置
  2.  不凍港による南下政策(しかし北極海の融解で変化か?)
  3.  エネルギー資源に依存する経済構造

 

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町田総合高校での体罰問題についての分析~世論の反応は?~

 

今、ある問題をめぐってネットで炎上している。

 

こちらのニュースも参考に

mainichi.jp

 

ツイッター「町田総合高校」と検索すれば、問題の動画がすぐ出てくる。

そこにはたくさんのリプライが紐づいている。

 

リプライを見てわかるのは、教師の行動に肯定的な意見がほとんどだということだ。

詳しく見たい方はツイッターで検索を!

 

 

 

世論の分布

 

動画に対する反応を拙いながら分析してみた。8種類ある。

「教師の行動」体罰に対する認識」「(言葉による)指導の結果生徒が変わるかどうか」について世論がどう考えているのか、という視点から分析してみた。

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分布としては④が一番多いと感じた。

つまり、先生を舐めきって挑発しているし、口で言っても変わらないのだから、体罰もやむを得ないという意見である。

 

ただ多くの意見では「ただし体罰はだめだ」という補足もあるが、それは社会的な反応を意識したからゆえに付け足しただけかもしれない。

この後述べるように社会的に体罰はダメだという流れが2013年以降強く意識されるようになったからだ。

 

そもそも体罰とは何なのだろうか?

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体罰の議論をする前に、似たような言葉としての懲戒と区別しておこう。

まず懲戒はこのように定義される。

懲戒とは、一般的には、組織体においてその秩序を維持するために、一定の義務違反者に対して制裁として課される不利益な処分をいう。P157

 

一方で体罰とは何だろうか?

体罰は学校教育法第11条で禁止されている。

第十一条 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。但し、体罰を加えることはできない。

 

その内容については裁判でこう示されている。

体罰」とは、事実行為としての懲戒のうち、被罰者に対して肉体的苦痛を加える制裁をいい、殴る・蹴る等その身体に直接有形力を行使する方法によるものと、正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等それ以外の方法によるものとが含まれる(静岡地決昭 63年 2 月 4 日民事事件)。P162

判例でも体罰は絶対的に禁止されている。

 

文部科学省の見解でも、有形力の行使は体罰に含まれるとしている。

体罰の事例が文科省のHPで示されているので、参照したところ、今回のケースは体罰に該当すると思う。

また文科省の事例から判断すると、正当な行為とも言えないだろう。

www.mext.go.jp

 

もちろんホームページに書かれているのは、あくまでも「参考」事例であって、すべてを包括しているわけではない。

 

体罰が問題化した背景

 

2013年、今から6年前のことだ。

大阪府の桜宮高校の生徒が部活動顧問からの体罰を苦に自殺した事件があった。

この事件に世論が大きく衝撃を受け、以後体罰は絶対的に許されないという社会的な空気が醸成された。

その後も部活動での体罰が度々ニュースでクローズアップされていた。

 

しかし、今回の問題では体罰を肯定する反応が多い。

桜宮高校に対する世論との違いは何だろうか?

 

世論の分布

 

私個人は、その行動に理があるかないか、だと思う。

桜宮高校では理不尽な暴力がまかり通っていた。顧問の機嫌のために生徒への暴力が日常茶飯事だったという。

死を選択するほど追い詰められた少年の心境は想像を絶するものだろう。

理のない顧問の行動に世論は激高した。そして多くの人は少年の苦しみに思いをはせた。

 

しかし、町田総合高校のケースでは違う。

私は教師の行動には理があると思う。

生徒が教師を挑発し、それでも教師は耐えた。けれども、我慢の限界を超えた。

 

口で言ってもわからん奴には実力行使もやむを得ない。

 

そういう命題を共有している人が教師の行動に理解を示す反応をしていたのだろう。

 

みんな体罰がダメだということはきちんと理解しているのである。

けれども手を上げてしまった教師にも言い分があることはきちんとわかっているのだ。

 

関係ないけれども-個人的に

 

言葉で指導不可能な人間に対しては実力はやむを得ない、という人類史における命題がある。

そんな大きなレベルの話でなくとも、学校においては退学や停学などの懲戒処分で対応する。

 

しかし、体罰はダメなのだ。

今回これほど問題が大きくなってしまったのは体罰に頼らず、如何に組織的に生徒を指導するかが達成できなかったからだろう。

その点で様々な教訓を得た。

 

ただし、世論の同情もわかる。

早急に判断しては事態を見誤るだろうが、動画や該当学校の生徒のツイートを見た上で思うのだ。

私には先生が不憫で仕方がない。

教師としてこのような生徒に対峙した時、私に何ができるだろうか。

 

参考文献

この記事を書くにあたってこちらの論文を参考にした。

薬師丸正二郎「体罰と懲戒~その限界と判断基準~」

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_110007571105.pdf?id=ART0009395389

 

アメリカ外交の重層性-村田晃嗣『アメリカ外交 苦悩と希望』講談社現代新書

 

中東情勢においてアメリカの果たす役割は大きい。

しかし、アメリカという国がどういう行動原理で動いているのか、いまいちわからない。そこで手に取ったのが本書である。

  


アメリカ外交 苦悩と希望 (講談社現代新書)

 

 

アメリカ外交を見る眼-アメリカ外交を分析する視点-

 

第1章はアメリカ外交を分析する視点について書かれている。

 

著者はアメリカ外交分析に際して、3つのレベルを意識する必要を述べる。

  1. 国際システムのレベル
  2. アメリカ国内社会のレベル
  3. 大統領など指導者個人のレベル

 

次にアメリカに固有の4つの潮流である。これは大統領の性質を分析する分類枠組みである。

  1. ハミルトニアン
  2. ジェファソニアン
  3. ジャクソニアン
  4. ウィルソニアン

 

最後の視点としてアイデンティティがある。

 

3つのレベル

 

1.国際システムのレベル

ジョセフ・ナイによれば、国際システムはシステムとプロセスから構成される。

構造とは国際政治におけるパワーの分布状態であり、現在のようにアメリカ一国が突出していれば一極構造、米ソ冷戦期のように二つの超大国が対峙していれば二極構造、十九世紀のヨーロッパのようにいくつもの大国が競合していれば多極構造、ということになる。

 

一方でプロセスとは、プレーヤーがどのように行動するか、ということを意味する。国際政治におけるプレーヤーとは国家を指し、その行動如何によって展開は異なる。

主要な大国が現状維持を願って穏健に振る舞うか、現状打破を求めて過激に行動するかで、構造は同じでもプロセスは異なってくる。また、同じ国でも時代によって現状打破的であったり現状維持的であったりする。1930年代の日本は全社であったが、今日の日本は後者である。

 

構造とプロセスは相互関係にある。互いに影響を受けつつ、国際政治は進展していく。

一国にパワーが集中する過程では、他国はこれに反発して団結するか(バランス)、迎合ないし強調するか(バンドワゴン)の選択を迫られる「一極に完全にパワーが集中すれば、前者の選択は無意味である)。

 

国際システムの構造はパワーの分布状態といった。

では、パワーとは何か。

パワーは国家の有する軍事力(力)と経済力(富)と情報や文化、規範(価値)の複合体である。

  

3つ目の価値とはソフトパワーのことである。

近年においては、中国やロシアなどの権威主義国家が自国の影響力を高める際にシャープパワーを行使する、といった議論もある。 

ただIT革命がアメリカ発であり、GAFAなどのプラットフォーム企業を有するところからも依然としてアメリカのソフトパワーは強い。

 

アメリカはこれら3つのどのパワーにおいても、冷戦終結後は圧倒的な優位にあった。

ただし、2019年現在においてはアメリカの相対的なパワーの低下により、国際システム構造は多極構造となった。イアンブレマーはG0と表現している。

 

ただ、対外的な要因だけで外交政策が決まるわけではない。

それに対して国内勢力が歯止めをかけることもある。なにしろアメリカに最も批判的なのはアメリカ国民自身と言われるのだ。ゆえに視点は国内に向かう。

 

2.国内社会のレベル

 

国内社会を見る視点として、社会における宗教色の分布、またリベラルと保守的価値観の分布状況がある。

たとえば、1980年代以降アメリカでは宗教的右派や保守派の影響力が強まった。

 

また、人種構成や世代の変化も重要な視点だ。

たとえば、人種が多様化して多文化主義が台頭すれば、その反動として白人層が保守化する。

 

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3.指導者個人のレベル

 

アメリカの大統領権限は絶大である。

理想主義者なのかリアリストなのか、主教色が強いのか、国威の発揚に熱心なのか、大統領の性質によってもアメリカ外交は大きく左右される。

 

1つのレベルのみで分析してはアメリカの外交政策を見誤る。

その点で、この文章は非常に示唆的だった。

(1) 国際的要因と国内的要因が一致して同じ方向に働く時、大統領をはじめとする指導者層がこれに反して外交に果たす独自の役割は限定されよう。

(2)逆に、国際的要因と国内的要因が相反する方向に働く時、指導者層の役割は増大しよう。

(3)現在のように、国内的要因が矛盾を内包しており、その一方の潮流が国際的要因と親和性の高い場合、指導者層はその潮流に迎合しがちだが、(1)の場合ほど行動の自由を制約されるわけではない。

 

この枠組みを使って分析すれば、以下のようになる。

アメリカ外交は、19世紀には総じて内向的な小国として(1)、20世紀前半は国力を急増させながら依然として内向的な大国として(2)、第二次世界大戦後1950年代までは自覚的な超大国として(1)、そして、ベトナム戦争の本格化後、特に冷戦後は(3)の傾向にある、と言える。

 

こういう視点でトランプ政権の動向を分析すれば、色々と見えてくるものがあろう。

 

先ほどの分析レベルは他国にも当てはまる汎用的なものだった。

しかし、各国には独自の歴史や文化がある。

当然アメリカ外交にも独自の潮流がある。

 

アメリカ外交の4つの潮流

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アメリカの対外的行動には4つの潮流がある。1つがハミルトニアン、2つ目がジェファソニアン、3つ目がウィルソニアン、4つ目がジャクソニアンである。

 

ハミルトニアン国際協調を重視する海洋国家志向である。北東部の利益を代弁し、企業と連邦政府の協調を重視する。

ジャクソニアン国内の発展と安定を第一義的に考える大陸国家志向である。建国の父ジェファソンに由来し、また彼は独立自営農民が民主主義の核であるとしていた。だからこそ、連邦政府の権限は弱小であるべきだとしたのである。

ウィルソニアン民主主義的な理念を世界中に拡大することをアメリカの指名と考える理想主義である。

ジャクソニアンアメリカの物質的な安全と繁栄を最重要視し、そのためなら赤裸々な実力行使を辞さない立場であり、国威発揚に熱心な立場だ。

 

これらの関係は同列でもなく複合的である。また単体でもない。

たとえば、クリントン大統領は内政重視の点でジャクソニアンであり、人権や民主主義的価値観を重視していた点ではウィルソニアンと言える。

 

根底にはジャクソニアンがあり、国家の危機に際してはこれが浮上するため、アメリカは国益を最重視して強く連帯するのである。ただし、逆に言えば、国家的危機が起きない場合は、ジャクソニアンは影をひそめることがある。

 

ちなみにハミルトニアン共和党の、ジャクソニアンは民主党の源流となっている。

北東部の企業家が共和党の、南部の農家が民主党の元々の支持者だった。

 

アイデンティティについて

 

自己イメージという言葉がある。

自分がどんな人間なのか、という自己認識によって自らの行動を規定するのは、自己イメージによる。これがアイデンティティに基づく分析である。

 

たとえば、アメリカは元々ヨーロッパから逃れてきた人々が建国した。

権謀術数のはびこる旧世界(ヨーロッパ)には関与しない、という自己イメージを持つ人がいれば、孤立主義を選ぶし、一方で世界をアメリカ化しようというインターナショナリストがいれば、積極的な対外関与へと進むだろう。

あるいは帝国という自己認識があれば、その通りに行動するかもしれない。

 

以上の3つのレベルを筆者はこのようにまとめる。

アメリカ外交の歴史を概観しようものならば、国際システムと国内政治、個人という三つのレベル、パワーを構成する力、富、価値という三要素をヨコ軸に、四つの歴史的潮流をタテ軸に、さらにはアイデンティティーまで意識しながら、アメリカ外交を考察するという難題が、われわれを待ちかまえている。

 

本書の価値

 

本書はこうした視点を懇切に解説したのちに、アメリカの歴史を建国からブッシュ政権時代まで分析の枠組みに基づいて描いている。

国際政治学における理論を現実の事象に当てはめて丁寧に解説しており、手ごろな新書でそのエッセンスを味わえる点で非常に価値がある。

 

ただ惜しむらくは出版が2005年と古く、14年前の情報だという点である。続編を出してくれないだろうか。

ただ、ある視点をもってブッシュ政権時代を眺めてみると、すでに現在のトランプ政権の萌芽がみてとれる。

 

トランプの行動の背景は何なのか?

そうしたことを考える視座をもたらしてくれる点で有益だと思う。

 

何より筆者の洗練された文章力にあっと引き込まれる。

 

また、中東政策の背景を様々な視点から眺めることができた。

たとえば、キャンプ・デーヴィッド合意の背景には「人権外交」を掲げるカーター大統領のウィルソニアン的な人格があった。その一方でイランの人権抑圧に目をつむったのは当時の国際システムが要因としてあった。

世界が結びつく体験を味わえた。

 

ある事象は連鎖反応的にさらなる事象を誘発する。

世界は有機的に結びついている。

 

最後に本書冒頭の言葉で結びとしたい。

「一つの国についてしか知らない者は、実はその国についても知ってはいない」-アレクシス・ド・トクヴィル

「知識は陳腐化するのか?」-IT時代の知識の価値について~イラン問題を題材に~

 

知識は陳腐化するのか?

 

陳腐化とは、価値が低下することである。

 

インターネットがこれだけ発達した現代。

調べれば簡単に情報が出てくるようになった。

 

そういう時代において知識の価値は低下すると言われる。

果たしてそうなのかだろうか。

 

今日はその問いについて考えたい。

 

 

新聞を読む-アメリカの国務長官の中東歴訪の記事から

14日、アメリカのポンペオ国務長官が中東歴訪を終えた。

www.yomiuri.co.jp

 

アメリカは反イラン同盟を作って、イランの封じ込めを狙っている。

 

アメリカだけではない。

サウジアラビアなどの湾岸諸国やヨルダンなどのスンナ派諸国、そしてイランと敵対するエジプト、そしてイスラエルが接近し、反イラン同盟の構築に向けて動いているのだ。

 

中東の問題の淵源であるパレスチナ問題。それをもたらしたイスラエルアラブ諸国と協力しているなど、かつてのアラブ人が見たら卒倒するだろう。

 

しかし、こうした中東における変化は、サウジアラビアとイランを中心に「中東の新たな冷戦」が起こっている、という視点で見ればすんなり理解できる。それについては過去の記事を参考に。

 

www.yutorix.com

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トランプ政権がなぜこれほどにイランを敵視するのだろうか。

 

イラン核合意はオバマ政権の時代に結ばれた。原子力の平和利用を認め、イランへの経済制裁を解除したものだ。

 

だが、大統領が変わると、過去の政権の政策を180度転換することはよくある。

トランプ大統領は核合意から離脱し、イランへの制裁を再開した。

 

背景にはトランプ大統領のイラン観があると言われる。

1979年にイラン革命が勃発し、アメリカの大使館員が400日以上人質に取られた。

この事件はアメリカに衝撃を与え、以後対イラン政策は今日まで続く強硬なものとなった。

「イランはまたアメリカに牙をむくかもしれない…」

 

そこにイランの原子力利用である。

 

「簡単に核兵器に転用するだろう。」

 

そんな恐怖が背景にあったとされる。

 

また、イランはシーア派国家である。イラクやイエメン、シリアとの結びつきが強く、それらがスンナ派諸国にとって脅威となっている。

王制サウジと革命を経験した共和制イラン。

体制の違いをめぐる対立から両国が競って同じ宗派を自陣に巻き込んだ。

その結果、中東全体で宗派対立のような様相を呈しているのが現状だ。

イスラエルもシリア問題をめぐってイランと敵対している。国境を接するシリアのアサド政権をイランが支援しているからだ。

 

ここでイランを封じ込めるという利害が一致し、中東でのイラン封じ込めが画策されているのだ。

 

知識を結びつけること

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新聞を読んでも、その情報が「何を意味しているのか」わからないことがある。

 

アメリカの国務長官が中東を歴訪した。」

「ああ、そうですか…」

 

知識を単体で手に入れても、すぐ忘れてしまうし、その位置づけもわからない。

 

けれども、自らの中に知識があればそれらを用いて解釈や分析ができる。

今手に入れた知識を自分の中にある知識と結びつけることで、新たな知識が生まれるのだ。

 

つまり、比較の材料としての知識は依然として価値を持つ。

解釈したり、分析したり、情報に意味を与えることは人間の専売特許なのだ。

これらは思考の一種であり、その材料が多ければ多いほどメニューも増える。

 

IT全盛期における知識の価値

インターネットがこれだけ発達した現代において、情報は簡単に出てくる。

それこそ、ある問題の解釈や分析もたくさん出てくる。

 

しかし、それらはあくまでも他人の思考の軌跡である。

 

思考は一朝一夕でできるものではない。

考え方を知り、それらを日常的に意識して行う訓練の積み重ねが必要なのだ。

その機会として新聞を活用するのは良いことだと思う。

 

ただし、そのためには比較できる知識が自分の中にあることが大切だ。

そして、その知識は体系化されたものであることが望ましいと思う。

全体的な関係の中でニュースを位置づけることができるからだ。

 

体系化された知識を得るのに最良の手段は読書だと思う。

特に教科書は優れた手段だ。ここでの教科書は学部や院レベルまでを射程にしている。

 

知識は陳腐化するのか?

考えるためには知識が土台となる。

考えるという能力はあらゆる時代において重要な能力だ。

 

だからこそ、その土台をおろそかにしてはならない。

調べられれば確かにすぐに出てくる時代になった。だからと言って知識の習得が意味を持たないわけではない。

 

ただ今までの教育は知識の習得に偏りすぎていた感がある。

インターネットがなく、教師と生徒間で知識の非対称性がすさまじかった時には、それは仕方なかったのかもしれない。

しかし、ネットを通じて知識を手に入れるハードルが下がったことで、知識の習得のみに偏った授業は時代錯誤と言えよう。

 

だからこそ、我々は解釈したり、分析したり、考える能力を持たなければならないのだ。

思考力があってこそ、知識は活きる。

つまり、知識と思考は車の両輪の関係なのだ。

 

知識自体は個人で好きに獲得できる。

個人の意思次第で好きなだけ吸収できるようになったのだ。

もちろん究極的には考える力だって個人の意思で身につく。

しかし、思考力の重要性にすべての人が気づくわけではない。

だから、それを鍛える訓練は社会で強制的にやらねばならない。

現下の教育改革はそういう流れの下で行われているのだろう。

 

ここで最初の問いに答えるなら、次のようなことが言えるだろう。

 

知識は陳腐化しない。

ただし、それを使って考えるならば。

 

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