Shiras Civics

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「人生をどう生きるか」がテーマのブログです。自分を実験台にして、哲学や心理学とかを使って人生戦略をひたすら考えている教師が書いています。ちなみに政経と倫理を教えてます。

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文書改竄は何が問題なのか

 

 

絶対的権力は腐敗する

19世紀英国のアクトン卿の言葉である。100年以上前の発言ではあるが、現代の民主主義社会においても大きく示唆に富む言葉である。

文書改竄の問題点~民主主義とどんな関係にあるの?~

 

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森友学園を巡る財務省の文書改竄問題が報道を賑わせている。まるで政権の政治生命を左右するかのような印象を報道から受ける。それほど、メディアの取り上げ方はすさまじい。

だが、ここでは問題の内容には立ち入らない。マスメディアをはじめ解説コンテンツはあふれているからだ。今回は文書改竄の何が問題なのかを考えたい。

そもそも文書の改竄ってなんなの?

文書の改竄とは、文書内容を偽装したり、書き換えたりと恣意的に書面を操作することである。これが可能なのは、文書を管理する立場にある者かそうした人々に指示を出すことのできる者に限られる。

為政者や官僚の都合によって事実が歪曲されたり、隠蔽されてしまう可能性があるのだ。

それは民主主義という観点から言えば、非常に問題といえる。

民主主義の大原則は市民が自ら判断し、決定することである。そのためには適切な情報公開が必要であり、それが適切な判断・決定の材料となる。すなわち、政府の情報公開は教育的機能を担っているのだ。

しかし、その材料に瑕疵があれば、間違った判断・決定をもたらしうる。政権にとって都合の悪い情報が隠蔽・歪曲されれば、市民の批判能力は大きく減衰し、民主主義が持つ自浄能力は消え去ってしまう。

また手続き上の瑕疵は政治権力の正統性を大きく傷つける

正統性とは支配を受ける人々が支配者に対して、その支配の妥当性を認めていることを表す。支配者とは権力を有する者のことであり、ここでは代議士や官僚など政策決定に携わる者とする。

近代国家の原則は手続きの順守にある。いきなり段階をいくつも越えることは認められない。たとえば、運転免許試験の点数を不正に操作するだとか、自動車の検査で無資格の検査員が資格を行うだとかは決して認められない。適切な手続きを踏まえなければならないのだ。

そうした原則(文書偽造の禁止)を守ることで社会の運営がなされている。

しかし、そもそもそうした原則を設定する側が原則を守らなければ、人々は支配者に対して不信感を抱く。中には幻滅や怒りを抱く人もいるだろう。この結果、政治権力の正統性は大きく減退するのである。

正統性の度合いは政権の安定性に直結する。しかし、批判があるからこそ、問題点が改善され、より良い状態へと変化を遂げるのである。もし問題があっても、適切に情報公開をし、批判を甘んじて受け入れることが代表制民主主義体制における代表者としてふさわしい態度である。そして、その結果として内閣不信任が成立しようが、甘受すべきだろう。文書改竄というのは民主主義の原則を逸脱するものなのだ

民主主義を維持するには不断の努力が必要

丸山真男は民主主義を民主主義として維持するには、不断の努力が必要と言った。それは有権者が選挙に行けば達成されるわけではない。制度を構築する側にも、民主主義を守る努力が必要であり、両者が不断の努力をすることで民主主義は実現するのである。

しかし、権力側にいれば腐敗はどうしても起こりうる。だからこそ、市民が権力者に対して働きかけることで、腐敗を是正することができるのだ。

民主主義というものは、人民が本来制度の自己目的化-物神化-を不断に警戒し、制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する姿勢によって、はじめて生きたものとなり得るのです。それは民主主義という名の制度自体についてなによりあてはまる。つまり、自由と同じように民主主義も、不断の民主化によって辛うじて民主主義でありうるような、そうした性格を本質的にもっています。(丸山真男『日本の思想』156-157ページ)

『天皇の日本史』『近代天皇論』を読んで、天皇について考えた

先日、皇太子殿下が58歳の誕生日を迎えた。来年には天皇陛下の退位が予定されており、皇室や天皇の在り方に関する議論が論壇を賑わせている。 

にもかかわらず、天皇についてあまりにも自分が無知なことに気付いた。慌てて書店に行って手に取ったのがこの2冊だ。 

 


近代天皇論 ──「神聖」か、「象徴」か (集英社新書)


天皇の日本史 (平凡社新書) [ 武光誠 ]

 

 

 

天皇の日本史』は、天皇に焦点を当て古代から江戸時代までの歴史を紐解いていく。

『近代天皇論』は宗教学者政治学者の対談形式で書かれており、天皇国家神道をベースに明治維新から現代までの歴史を眺めていく。

天皇という存在

どちらにも共通しているのが、天皇は古代から権威として存在していた、ということだ。つまり、歴史の多くの場面で実質的な権力者が権力行使の正当化の道具として天皇を利用してきたのだ。

古代においては天皇「自身」の命令は絶対的なものであり、その伝統が続いているからこそ、権力者の天皇利用が可能だった。

たとえば、平安時代藤原氏天皇外戚関係を結ぶことで自身の権力基盤を形成した。室町時代には足利義満が朝廷の官位(太政大臣)を賜ることで、幕府の権威づけを試みた。近代においては、天皇が過度に神格化され、統帥権干犯問題などが起こった。

権威としての天皇はこうして生まれる

権威として機能するには、人々がその存在に権威を認めなければならない。そうでなければ、人々は権威に従ったり、敬意を抱いたりしない。

権威とは、他の者を服従させる威力のことである。(デジタル大辞泉

天皇の権威を多くの人が認めるには、古代においては臣民に対する、近代においては国民に対する教化が背景にあった。すなわち、古代においては律令体制下における神道の組織化(神祇官の設置)があり、近代以降には国家神道という形で国民が組織化されたことがある。

こうした中で天皇のイメージを周囲の人間が作り上げ、それが人々の行動を規定して行ったのだ。「天皇は神聖だ」「日本は神の国だ」と。

天皇に自ら従う人間を作り上げたという点では古代においても近代においても教育政策は成功したのだろう。しかし、近代におけるその顛末は国家の破滅というものだった。

民主主義における天皇

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時に集合的な観念は人々を狂わせる。天皇を絶対化する教育は視野狭窄な集団を作り上げてしまったのだ。

翻って現在の日本は民主主義社会であり、建前とはいえ主権者は国民である。民主主義の究極的な原理は人民による自己決定であり、原理的に言えばその対象は天皇の進退をも含む。 

もちろん天皇は古代から連綿と続いてきた世界史上の稀有な存在であり、日本国民に日々祈りをささげてくださった尊いお方である。 

だからといって、天皇の在り方の議論に蓋をするのはもはや思考停止であり、その態度は健全な民主主義社会の一員のものとは言えない。

多様な考えが認められ、活発な議論が行われることで民主主義は活性化するのだから、議論をして当然なのだ。

タブーを作らず、自分なりの天皇の在り方を考えていきたい。

本書を読んで、天皇という視点から古代から現代までの通史を眺められたことは幸いであった。というのも天皇という神格化しやすい存在を絶対化せずに、相対化する基盤となった。初めから神聖不可侵ではなく、歴史的な経緯があって現在の天皇像が形成されたのだ。

そうした点で素敵な本に出会えたことに感謝である。

説明責任について

 

 

政治学において説明責任という言葉がある。説明責任はアカウンタビリティーといい、アカウンティング(説明)とレスポンシビリティー(責任)を合わせた造語である。この言葉は元々アメリカで生まれたものであり、アメリカ大使館によれば次のように定義されている。

政府の説明責任とは、公選・非公選を問わず公職者には、自らの決定と行動を市民に対して説明する義務がある、ということを意味する。政府の説明責任を実現するため、各種の政治的・法的・行政的な仕組みが使われる。これらの仕組みは、腐敗を防止し、公職者が市民の声に反応できる、身近な存在であり続けることを目的として作られたものである。このような仕組みがなければ、腐敗が蔓延するかもしれない。

 

民主主義における説明責任

代表制民主主義の下では、公職に就いている者(政治家)は委任者(国民)に対して説明責任をもつ。どのような法が、どのような利害関係を持って、どのような過程を通じて作成されたかということについての情報は、国民がより適切な判断・評価を行う上での材料となる。もしも不正が行われていても、情報が明るみになっていれば、国民は不正を糾すことができる。

最近になって、日本でもアカウンタビリティーを重視する潮流が生じている。東京都の小池知事が都政の透明性を重視すると謳ったり、森友学園問題を巡って官邸に対する忖度があったのではないかとメディアが騒ぎ立てたりするようなことが起きているところからも、社会的な潮流として説明責任に敏感になっている人が多くなったのではないかと思う。

確かに民主主義を十全なレベルに保つには国民の知的水準が一定のレベルにあることが必要である。そのために説明責任によって情報が公開されることが不可欠だ。しかし、それはあくまでも代表ー委任関係において重視されるものであり、他の領域においても重要だとは限らない。社会的に敏感な人が多いというのは、裏を返せば他の領域においても説明責任を求める人がいる可能性を示唆している。では、教育における説明責任はどのような位置づけなのだろうか。

教育における説明責任

というわけで教育における説明責任の必要性について考えたい。なぜ教育かといえば、説明責任は権力関係の下で発生するからだ。国民主権の下では国民が国政の最終決定権を有するとされてはいるが、実際は代表者と委任者の間には厳然たる権力関係がある。それは教育においても同様で、教師と生徒(学生・児童)の間にも権力関係はある。しかし、現実に妥協するのではなく、理想は目指すことに意義がある。民主主義社会の一員を育てることが現下の教育政策の目標ならば、幼少期から民主主義に親和的な価値観を育んでいく必要性があろう。

結論として、教育における説明責任は最低限必要である。教育とはある資質・能力を養うことであり、それゆえ獲得できる資質・能力というゴールに関する説明責任は不可欠だと思う。もし最終目標に関する説明がなければ、当然途中経過もわからず、何ができるようになったか、何ができないのかわからない。それはモチベーションを大きく削いでしまうし、教師に対する不信感をもたらしてしまう。一方で、あらゆる活動に説明責任を付随させても、そのコストは相当なものとなるし、時間制約上非常に困難だろう。だから、生徒が最終的に何ができるようになっているかを教師はきちんと説明する必要がある。

ただし、説明責任は教師が果たすべき責任のうち微々たるものである。教師が重きを置くべきは評価である。つまり、生徒が「何ができるようになったか」「何ができないのか」ということを逐次評価することである。そのためにも教師は目標を設定し、どういうステップがあるかを細分化して把握することが必要である。

ただし、どのようなことができるかが分かっても、自分が現在どの段階にいるのかということは中々わからない。そこで教師が適切な評価をすれば、何ができて、何ができないか生徒は理解できる。それがあるからこそ、現状の問題点を改善でき、それを修正すればより自分を高められるというモチベーションにもつながる。できることの積み重ねは小さいながらも成功体験となる。それは自信につながり、その自信の源を作ったという意味で教師に対する信頼が生じる。

ある能力を獲得できるようになるという将来への期待をもち、自分が着実に成長しているという実感を持てるからこそ、生徒は学ぶのである。だからこそ、説明責任に無駄な労力を割くべきではない。教師は不断に生徒を評価し、その努力に寄り添うべきなのだ。果たすべきは努力する姿勢に寄り添い続ける責任である。生徒ができるようになるまでとことん応援しよう。

説明責任よりも考えるべきことがある

最後に教育における説明責任の必要性の問題を考えてみたい。確かに民主主義社会の一員を育むために、幼少期から説明責任が「当たり前」であることはその目的の実現に貢献するかもしれない。しかし、教育という営みは本来的に権力的であり、なにがしかの価値観を育むためには一定の期間、盲目的に提示された課題と向き合うことが重要なのだ。そうして身についた価値観を判断基準として批判的思考や意思決定能力を養う方が自律した個人の育成に資するだろう。したがって、教育において最低限の説明責任は必要ではあるが、民主主義社会の成員を育む上ではそこまで重要ではないと思う。

 

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かぼちゃの馬車の問題が教えてくれること

 

 

より安全に、より快適に暮らしたい

こうした欲求の存在は、人類社会を発展させる原動力として機能してきた。しかし、過度な欲求の拡大は人類にとって毒となるようだ。

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かぼちゃの馬車問題

都内でカボチャの馬車という女性専用シェアハウスの物件数が急増加している。この物件を管理するのはスマートデイズという企業であり、物件のオーナーはサラリーマンや公務員などの個人が中心である。

スマートデイズのビジネスモデルは、オーナーが管理会社に物件を賃貸し、管理会社は入居者に賃貸するというサブリースと呼ばれるものだ。

簡単に言えば、管理会社が不動産を管理し、毎月の賃料をオーナーに一定額支払う家賃保証のようなものだ。しかし先月、社長自ら支払いが困難であることをオーナーに伝えた。

背景には需要を度外視した急拡大があるという。入居者がほとんどおらず、空き家状態になっている物件もあるそうだ。オーナーの多くは銀行から個人融資を受けており、自己破産のリスクに直面している人もいる。

問題点は二つある

ここでの問題は二つある。

一つは、スマートデイズの事業の在り方つまり需要を度外視した過度な供給である。必要のない物件ができたところで、需要がないのだから、多くの空き家が生まれるだけに過ぎない。

もう一つは、銀行の融資の姿勢である。つまり、融資対象の事業に対する目利きの甘さである。これには構造的な背景がある。

日銀の超低金利政策によって銀行が企業に貸し出す際の金利が低下し、収益が低下した。そうした中で銀行は新たな販路を個人に見出し、結果として個人への融資事業が活発となった。つまり、銀行が自己の生き残りをかけて、新たな金の貸出先を作り上げたのである。

ここでどのプレーヤーにも共通しているのは、それぞれが自己利益の最大化に努めている点である。

そもそも近代社会は個人の自己利益の最大化、つまり欲求の存在を積極的に肯定してきた。そして欲求の存在自体は肯定されるべきである。なぜならそれが人類社会の発展をもたらしたからだ。

より生活を楽にしたいから、農業技術が発達し、食料の生産性が向上した。より遠くへ行きたいから、交通手段が発達した。より安心に暮らしたいから、医療技術が発達した。

では何が問題かといえば、欲求を満たそうとした結果、欲求が満たされなくなったことである。つまり、際限のない欲求の拡大は社会に不利益をもたらすのではないかということだ。

物件の急激な増加は大量の空き家を生み出した。空き家はそれ自体が社会的コストである。また、事業の将来性を無視した融資によって、破産の危機を迎える人が大量に発生するかもしれない。破産までいかずとも、賃料収入が得られなくなった人は借金の返済によって生活は非常に苦しくなるだろう。確かに融資を受けた人の中には安易に「ウマい話に乗った」者もいるだろう。不安定な時代だからこそ、安定した家賃「保証」に飛びついてしまったのも、気持ちはわからないではない。甘い言葉にそそのかされた者がいるのは確かなのだ。

しかし、無責任にも銀行が収益拡大のために安易に融資した姿勢には正直なところ憤りを感じてしまう。

必要性を超過する供給

何度も言うが、欲求自体は肯定されてしかるべきだ。しかし、今回のように需要を無視したり、無理やり需要を生み出したりといった過度な欲求の拡大は自制されるべきだと思う。

なぜなら、欲求の際限なき拡大は社会に不利益をもたらすからだ。かぼちゃの馬車の破綻はそれを如実に示している。

かぼちゃの馬車の問題は社会全体の利益と資本主義をうまく両立させることの困難さを我々に教えてくれる。低成長の時代に突入した今、我々は欲求とどう折り合いをつけていくべきなのだろうか。

 

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経済発展を支える根幹~歴史から考えるとみえてくるもの~

 

 

古今東西、あらゆる悩みは経済問題

あらゆる政権における課題に経済発展がある。それは古来から為政者が気にかけてきたことであった。現在のような高度な技術を必要とする産業とは異なり、明治以前の日本における主要な産業は農業であった。したがって、開墾による生産面積の増加や収穫量の増加が経済発展に直結していたのである。今回は経済発展を支えるものは何なのかを考えてみたい。

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経済発展を支えるものは何か

時代をさかのぼると…

平安時代の終わりごろ、大開墾時代が訪れた。畿内(現在の近畿地方)は温暖で早くから開墾が進む一方で、関東は低湿地帯で開墾があまり進んでいなかった。それが牛馬による耕作など農業技術の発展によって開墾が進み、収穫量が増加したのである。

また江戸時代の享保期(8代将軍吉宗の治世)には、大規模な新田開発が進められた。これによって全国の田の面積は江戸時代初期に比べて2倍になった。背景には、年貢の徴収方法が収穫高によって決まる検見法から毎年一定量の年貢を徴収する定免法に変わったことで、収穫量の増加が所得の増加につながったことがあるだろう。

収穫されたもののうち、余剰分は売りに出される。鎌倉時代には定期市が日本の各地で発展し、宋から大量に銅銭が輸入され、売買の際に用いられた。また江戸時代には収穫量の飛躍的増加が全国的な流通網の整備に後押しされ、物流が盛んになった。定期市ではなく店ができ、常に売買が可能になった。そうした市場の活況の根底には、そもそも消費財の生産が盛んになること、そして生産へ向かう動機を農民が保持していたことがある。収入を増やすというモチベーションが巡り巡って経済発展へとつながった。

ここで経済発展の原動力となったのは、収入の増加が大きい。しかし、根本的な支柱として私有財産権の保障があると思う。

たとえば、前者の大開墾時代では墾田永年私財法によって新たに開墾した土地の永久私有が認められている。新たに土地を耕せば耕すほど、自分の土地が増えるのである。そして、それは収穫量、すなわち収入の増加を意味していた。また、後者の大規模な新田開発に際しても、新たに開墾した者はその土地の私有を認められていた。自分のものであるというお墨付きを得られるからこそ、苦労してでも開墾に励むわけだ。

 

 経済発展の背後にあったもの

そうした私有財産権を保障するのが国家をはじめとした統一的な権力である。平安時代においては朝廷が、江戸時代においては江戸幕府が所有権を保障していた。ただし、平安時代においては朝廷の影響力が地方にまで完全に行き届かず、そのため土地の所有者が野党などから土地を守る必要性が生じた。これが武士の起こりともいわれる。

現代においても、経済発展の根幹には私有財産権の保障がある。自らの稼ぎが奪われないという安心感があるからこそ、さらなる経済活動に邁進できるのだ。したがって、経済発展を支える根本的な柱は、所有権を保障する統一的な権力の存在だといえよう。

こうした命題を踏まえれば、私有財産制を否定する社会主義「体制」がどうして行き詰まったのか、なぜ中国は社会主義から社会主義市場経済へと資本主義を一部導入するに至ったのかを理解することができよう。

ソ連や中国といった社会主義国家は私有財産を否定し、国有財産を規定している。ここでは、どれだけ努力しようが、どれだけサボろうが、結局収入は変わらない。また、あらゆる資産が国家の所有物となれば、すべての人民が公務員となる。毎日決まった時間だけ勤務すればよいのである。どれだけ働いても給与は変わらず、しかも勤務時間にサボってもよいのであれば、生産は停滞する。社会主義国家の下では結局経済発展が行き詰まってしまったのである。だからこそ、最終的には市場原理を導入せざるを得なかったのである。

 

経済発展を支えるものは何か

冒頭の問いに戻ろう。経済発展を支えるもの、すなわち経済発展の根幹には、所有権の保障を保障する政府という要素があるのだ。

 

▼ 市場は万能ではないという話です。他2記事。

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表層的な禁止~「人返しの法」と「大学定員抑制策」の共通点~

 

 

10年間ながらも東京23区内の大学定員抑制が閣議決定された。東京への人口一極集中を是正し、衰退が叫ばれる地方大学への進学者を増やすことを狙いとしている。人材育成等に取り組んだ地方大学などへ補助金を支給するそうだ。

ある政策との類似性~江戸時代版定員抑制策~

この政策を見て「人返しの法」に似ていると感じた。「人返しの法」は江戸時代の終わりごろ、水野忠邦による天保の改革の一環として出された法令である。江戸に流入してきた人々を強制的に農村に返し、同時に農民の出稼ぎや副業を禁止した法令である。

飢饉などで農村に仕事がなくなったため江戸に流入した農民を、再び農村に閉じこもらせ、年貢収入の安定化をもくろんだわけである。しかし、江戸時代の終わりには商業が大いに発展し、農村にまでその余波が及んでいたから、農民が副業として商品作物を栽培したり、出稼ぎをしたりすることを禁止したのは時代に逆行していたといえるだろう。そもそも農民だって鋤や鍬、肥料などの生産手段を用意するのに、金銭が必要だったのだから、本業である農業が立ち行かなくなれば出稼ぎ等に手を出すのは不可避だったのだ。

当然、人が戻ったところで農村の荒廃は防げなかった。つまり、人返しの法は、水野忠邦が社会現象の原因を見ずに、ただ表面的に「現象を禁止するぞ」と叫んでいることを示している。

 なぜ若者は上京するのか

同様に、23区内の大学定員抑制政策も社会現象に対する表面的な対策に過ぎないと思う。若者が東京の大学に進学するには、それなりの理由があるからだ。まず、研究環境の違いがあげられる。2004年に国立大学が独立行政法人化し、国が国立大学への予算を徐々に削っていった。東大などの一部のトップ校に資金が偏る一方で、地方国立大学の研究者は自ら予算獲得に奔走するようになり、その分研究に割く時間が減少した。研究時間の減少は論文数を減少させ、それが国からの予算をさらに減少させ、研究環境の負のスパイラルをもたらしたのである。

次に、大学のブランド価値の問題がある。学歴(正しくは学校歴)が就職活動において大きく関係することから、若者は多少無理をしてでも都心の有名大学へ進学を希望する。もちろん、地方にも面倒見の良い大学(国際教養大学や金沢大学など)はあるが、全体的な傾向としてブランド力のある大学が都心に集中しているのだ。学校歴社会である以上、学生の志向は今後も変わらないと思う。本社機能が23区内に集中する企業も多く、就職活動をしやすいことも都心への人口集中をもたらす一因だろう。

また、地方にも問題があると思う。地方はよく閉鎖的と言われる。地方に在住する人自身も自分たちの(自治体のことを含めて)閉鎖的だと自虐するそうだ。そうした場所で若者が輝ける場があるのかと思う。つまり、商店街の活性化であったり、選挙啓発などを行うために、若者が学生団体を創設したり、街の事業に参画した際、その地域の人たちに若者の意見を尊重する気風があるのかということだ。若者の感性を認めない「閉鎖的な」空気が若者の東京流入に拍車をかけているのではないか。

どちらにも共通するのは根本的な背景を見ずに、表層的な対策をするところ

若者の東京流入にはこうした背景がある。確かに地方大学の衰退は問題だとは思う。しかし、人返しの法のように、社会現象の根本的な背景にメスを入れず、単純に現象自体を禁止しようとしても、抜本的な解決にはならないと思う。ただし、天保の改革が3年ほどで終わり、それに伴い人返しの法も効力を失った一方で、新法案は今後10年間は法的効力を持つ(まだ国会で成立してはいない)。人の流れに対して強制力が働く中で、これから地方大学と地方はどう変化していくのだろうか。

 

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人が移住する理由

 

 

現在の東京都の人口は1370万人を超える。日本全体では人口減少局面に入ったにもかかわらず、東京では人口が年々増加している。これは出生数の増加だけでなく人口流入が要因として大きい。なぜ人が集まるのか。その一つの理由は生活の糧を得られるから、すなわち雇用があるからである。

 歴史的な人口流入の例

アメリカのカリフォルニアで1848年に金鉱が発見された。翌年には一獲千金を求めた人々が殺到し、その数は30万人に上ったという。いわゆるゴールドラッシュである。時代を少しさかのぼった日本でもゴールドラッシュがあった。江戸時代、当時は幕府の直轄領だった佐渡に金山があった。そこには一獲千金を求めた人々(主に農民)が押し寄せ、たちまち佐渡には5万人を超える町が出来上がった。鉱山労働者だけでなく、その暮らしを支えるための豆腐屋や味噌屋、商品の仲介を行う商人などが集った結果として町が形成されたのだ。

一方、当時の江戸には近隣から農民などが職を求めて移住してきた。江戸100万都市といわれるが、100万人もの人々が最初からいたわけではなく、幕府の政治機構が整備され、大名などが江戸で暮らすようになったため、その暮らしを支えるための労働需要が増えていったのだ。拡大する労働需要は外部からの移住者を必要とし、そうして都市の規模が拡大していった。

寛政の改革で出された旧里帰農令(援助をするから農村に帰るよう促す法令)や天保の改革で出された人返しの法(問答無用で農村に返す法令)は、江戸に移り住んだ農民を農村に返す法令である。こうした政策があったということは、幕府が社会問題として認識するほど江戸の街に移住者がいたということであろう。当然、飢饉などで農村に仕事がないから彼らは江戸にやってきたのであるが。

 現代における人口流入

このように人々は生活のため雇用を求めて移住した。翻って現代では、人々は雇用のために移住するのだろうか。ここで有効求人倍率と人口増減率を参照してみたい。2016年度の有効求人倍率は東京都は2.06であり、次は福井県の1.91である(独立行政法人 労働政策研究所ホームページより)。しかし、福井県の人口増減率は低下しており、必ずしも雇用があるから人が移住しているとは言えない。ここで言えることは雇用以外にも移住の要因があるということである。

たとえば、東京都には有名な大学が多く、学生の数が非常に多い。しかし、彼らは奨学金や仕送りという形で生計を立てており(中にはアルバイトで生計を立てる者もいるだろう)、生活の糧をすでに持っているのである。彼らの生活を支える仕送りは親の労働の賜物であるし、それが足りなければアルバイトという形で労働に従事する学生もいる。

 雇用という視点から見てみると

ここでもう一度有効求人倍率を見てみたい。2016年度は東京都が最高値の2.06を記録しているが、最低値の沖縄県でも1.03である。つまり、全国で有効求人倍率が1を下回る都道府県はなく、むしろ選びさえしなければ仕事は飽和しているのだ。

したがって、東京に人口が流入する背景の一つとして、人々が仕事を選別していることがある。生活の糧を得るための雇用であれば何でもよいというわけではなく、やりたい仕事を選んで人々は移住するのである。だからこそ、その反動としてブラック企業に対する社会的な反応があるのではないだろうか。

もちろん飢饉等の非常時は農村に職自体がないのだから、どんな職でも生活の糧が得られればよかっただろう。しかし、農村と比較して江戸での暮らしは海の幸も山の幸もあったり、日銭を稼ぐ手段が多かったことから楽だったそうだ。ゴールドラッシュだって普段の仕事を捨て、一獲千金を狙って仕事を選んだわけである。雇用が飽和しているときは、その中から選択しているわけだ。

 ただ雇用があるから移住するのか

最初の問いに戻ろう。人が移住するのは確かに雇用があるからだ。人は生活の糧を必要とし、その手段として雇用がある。ただし、それがやりたいことであるから人は移住するのである。

 

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大量廃棄問題に見る資本主義

 

 

縁起は良いが、需要はさほどなかったようである。節分の日に店頭に並んだ恵方巻は大部分が売れ残り、大量に廃棄されている。しかし、この問題は恵方巻に限ったものではない。

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 無限の資本主義

日本の年間食品廃棄量は2800万トンという。これは世界の食糧援助料の320万トンを遥かに超える量である。さて、こうしたニュースに触れて思い浮かぶのが資源の有限性である。エネルギー資源にしろ、海洋資源にしろ、この世にある資源は限られている。

そうした有限性と対極にあるのが資本主義である。資本主義とは資本が無限に自己増殖する過程を指す。つまり、カネを増やすためにどんどんカネを使うべしということだ。たとえば、もうけを増やすために工場建設にどんどん投資したり、さらなる販路を開拓するために鉄道を敷設したりすることだ。

しかし、こうした供給の拡大は需要が拡大してこそ意味を持つ。北海道新幹線の乗降者数の少なさや恵方巻の大量廃棄は需要を度外視した供給が背景にある。高度経済成長期のように人口が増加するうちは企業も成長路線を続けることができた。だが、人口減少や個人のニーズが多様化した現代においては「必要でもないもの」を従来の規模のように売ることは非常に難しいだろう。低成長に突入した現在において、高度経済成長期のように多くの人が所得を伸ばしているわけではない。所得の減少はデフレをもたらし、またサービスが飽和した現在において、個人のニーズの多様化にも拍車がかかっているのだ。

 有限を最大限に活用した江戸時代

必要でないものをどんどん売る。その結果、有限な資源が消費されずに廃棄される。資本主義の下では、儲けることが一義的であり、適切な資源利用は考慮されない。将来の世代や地球環境の行く末を考えれば、資本主義は岐路に立っているのかもしれない。ここで考えのヒントとして、超エコ社会といわれた江戸時代の村の様子を見てみたい。

江戸時代、村では百姓による自治が行われていた。そこでは、様々なルールが作られ、彼らの行動を規定していた。たとえば、入会地や海の利用に関するルールがある。海の村ではノリやコンブ、アワビ、サザエなどは漁の解禁日が決められていた。また、山間の村では入会地での鋸や鎌の使用が禁止された。鋸で木材が駆り出されれば山の資源がなくなり、鎌でこれから成長する若木が伐られて雑木まで根絶やしになってしまうからである(田中圭一『百姓の江戸時代』)。

こうしたルールは資源保護の観点から作られた。すなわち、今後も生産し続けられるような生産関係を基にした秩序が生まれていたのである。資源の有限性が強く意識された時代だったからこそ、循環社会とでもいうような超エコ社会が生まれたのだろう。

もちろん彼ら農民が先を見据えたのは、今後の生活がかかっていたからである。翻って、今年は「持続可能な発展」が国連環境開発会議で謳われてから26年となる。果たして資源保護と資本主義は共存するのだろうか。そのヒントがエコ社会といわれた江戸時代にあるのかもしれない。

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〈追記〉現在、企業は設備投資を控える傾向にあるそうだ。日銀の超低金利政策によって企業にカネ余りが生じている。その一方で、設備投資を控えているために企業は次のうちどちらかの方策をとっている。すなわち、緊急時のために金をためる内部留保、あるいはM&A(買収・合併)である。

ただし、需要を無視した供給という形は変わらない。そもそも江戸時代のように小さな共同体の内部であれば需要と供給の一致は容易だったのだろうが、現代のように巨大な社会だと需給の調節は極めて難しいのかもしれない。

 

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歴史から仮想通貨を考える

 

 

2日、金融庁仮想通貨取引所コインチェックに立ち入り検査を実施した。仮想通貨に対する監視体制が強化される一方で、マネーロンダリングなど違法な資金調達の温床になるといった理由から、インドや中国など各国が仮想通貨市場の規制に乗り出している。こうした各国中央政府の規制の背景には仮想通貨市場の急騰がある。そして、昨年のビットコインの急騰などは仮想通貨の需要が大きく増加したことを示している。同じように、日本でも貨幣に対する需要が大きく増加した時期があった。鎌倉時代から室町時代にかけてである。

 鎌倉~室町時代の通貨事情

鎌倉では宋銭や明銭など中国から輸入された銅銭が広く流通した。日本でも貨幣は製造されていたが、律令国家が崩壊して以降、統一的な貨幣は作られなくなったため、代替として中国製の貨幣が利用されたのである。しかし、宋銭や明銭だけでは資金需要をまかなえず、民間の私鋳銭が作られた。

では、なぜこの時代に貨幣の需要が増加したのかといえば、三斎市(鎌倉時代、月に三日開かれた市)や六斎市(室町時代、月に六日開かれた市)などの定期市が開かれ、その決済手段として貨幣の需要が増加したからである。そのとき貨幣の信用を担保したのは貨幣自体の質の良さだったと思う。というのは、品質の悪い私鋳銭は撰銭といって質の良い銭と区別され、忌避されていたからだ。

こうした市が開かれた背景には、農業技術の発展に伴う余剰生産物の存在があった。東日本では二毛作、西日本では三毛作が行われた。農具や肥料の改良なども相まって、生産力は大きく向上した。米以外にも麦やソバ、各種野菜などが作られていたという。

こうした貨幣経済の浸透について本郷和人氏はこう述べている。

ことに1225年から1250年の間に日本列島に急速に貨幣経済が浸透していく。それは土地を売買するときの証文が、〇〇石というコメによる表示から、〇〇貫と銭による表示に代わっていくことからも確認できる。(本郷和人『日本史のツボ』204ページ)

銅銭の輸入は平清盛日宋貿易に遡る。

「日本最古の通貨は何か」という問いに、私なら、和同開珎でも富本銭でもなく、清盛が輸入した銅の宋銭だったと答えるでしょう。銭というものは、大量に出回ってはじめて、通貨として機能するわけですから。(同201ページ)

余剰生産物は市場活動を活発にさせる。その際に、売買の仲立ちとして貨幣が不可欠だった。しかし、日本の貨幣鋳造技術は未熟であり、だからこそ宋銭の需要が高かったのである。

仮想通貨との比較

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翻って仮想通貨を見てみよう。鎌倉時代室町時代と同様、通貨に対する需要が大きく高まったために、昨年度のようなビットコイン市場の急騰が生じた。

しかし、それは決済手段としての需要ではなく、あくまでも投機の対象としての需要である。事実、日本ではまだ仮想通貨を決済手段として採用する企業は少なく、さらには今月2日LCCピーチ・アビエーションが仮想通貨を決済手段として導入するのを無期限延期にすることを明らかにした。日常生活レベルでも仮想通貨を利用できる店舗やサービスは極めて少ないと実感する。

こうしたところから、現状において仮想通貨は決済手段ではなく、あくまでも投資の対象としてしか見られていないと思う。また、銅銭など目に見える形で保管できず、さらには流出のリスクもあるとすれば、そうしたリスクが低くなったと人々がみなさない限り、普及は難しいだろう。なぜなら、貨幣が貨幣として機能するには人々のそれに対する信用が必要だからである。今のところは得体のしれないものだから、撰銭の対象になっているという所だろうか。仮想通貨に可能性を感じる一方で、その危うさも感じてしまう。

主権者を養うためには

 

 

 次の高等学校学習指導要領では主権者教育の推進が謳われるようだ。「公民」の中で新たに設置される「公共」は主権者教育の推進の鍵となる科目である。以下は記事の一部抜粋である。

新たな科目「公共」とはなにか

「公民」の中に必修科目として新設される「公共」は「様々な選択・判断をする際に手がかりとなる概念や理論、公共的な空間における基本原理を理解する」ことなどを目的に、政治参加に向けた基礎知識について、討論や模擬選挙などの活動を通して政治に参加する資質を育む科目だ。授業では現実に直面している諸課題をテーマに設定し、安全保障問題や領土問題、国際貢献における日本の役割などを主題とするほか、情報の妥当性や信頼性をふまえた公正な判断力を身につけるメディア・リテラシーの育成も行う。(読売新聞「高校、主権者教育充実…安保・領土題材に新科目」2018年1月31日朝刊1面) 

「公共」の目的の一つは、政治参加の際に手引きとなる基本原理を、討論や模擬投票などを通じて、その原理を実際に使いながら学んでいくことだと思う。たとえば、選挙の際に候補者のマニュフェストの中からどういった社会保障政策がよいのかを資本主義と社会主義の二項対立の中で評価したり、刑罰の問題について普遍主義や文化相対主義で考えたりということが挙げられよう。ある概念を実際に使いながら判断力を身につけていくのである。

ちなみに新学習指導要領には「公共」の目標が以下のように書かれている。

人間と社会の在り方についての見方・考え方を働かせ、現代の諸課題を追及したり解決したりする活動を通して、広い視野に立ち、グローバル化する国際社会に主体的に生きる平和で民主的な国家及び社会の優位な形成者に必要な公民としての資質・能力を次の通り育成することを目指す。

(1)現代の諸課題を捉え考察し、選択・判断するための手がかりとなる概念や理解について理解するとともに、諸資料から、倫理的主体などとして活動するために必要となる情報を適切かつ効果的に調べまとめる技能を身につけるようにする。

(2)現実社会の諸課題の解決に向けて、選択・判断の手がかりとなる考え方や公共的な空間における基本的原理を活用して、事実を元に多面的・多角的に考察し構成に判断する力や、合意形成や社会参画を視野に入れながら構想したことを議論する力を養う。

(3)よりよい社会の実現を視野に、現代の諸課題を主体的に解決しようとする態度を養うとともに、多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵養される、現代社会に生きる人間としての在り方・生き方についての自覚や、公共的な空間に生きる国民主権を担う公民として、自国を愛し、その平和と繁栄を図ることや、各国が相互に主権を尊重し、各国民が協力し合うことの大切さについての自覚などを深める。

「公共」の目指す資質の獲得

こうした資質の獲得は非常に時間を要すると思う。そのためにも、教室の中で主権者教育の実践を繰り返し行っていかなければならない。態度や資質を身につける前に学校を卒業してしまえば、こういった訓練の場は失われ、社会問題への関心や思考の手順を忘れてしまう者もいるかもしれない。だからこそ、小学校や中学校など早い段階から主権者教育は行わなければならない。

判断力は選挙だけでなく、社会問題などについて考える上で非常に役に立つ。社会に出てからも継続して求められる能力だからこそ、高校からではなく小学校から継続して主権者教育を行っていかなければならないのだ。しかし、それだけでは不十分である。以下の記事が非常に示唆に富んでいた。

www3.nhk.or.jp

環境要因の重要性

この記事の終わりでは、政治に興味を持つうえで家庭の雰囲気が大事だということが述べられている。上記のような能力を獲得しても、そもそも対象について興味を持たねば思考は始まらない。主権者を育てる主体には学校だけでなく家庭も含まれている。したがって、家庭に対する啓発事業など生涯教育も併せて行わなければならないと思う。長年の訓練の成果として、関心を持ったり、考えることが当たり前の感覚となることが理想なのだ。主権者を養っていくのはかくも労を要することなのである。

 

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