Shiras Civics

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「人生をどう生きるか」がテーマのブログです。自分を実験台にして、哲学や心理学とかを使って人生戦略をひたすら考えている教師が書いています。ちなみに政経と倫理を教えてます。

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混迷の中東がわかる本-酒井啓子『9・11後の現代史』講談社現代新書①

新聞を読んでいて

 

中東情勢、全然わからない!

 

と言って色々な本を探し、読んできた。

 

本に当たり外れをつけたくはないが、この本は大吉である。

 

本書は、21世紀の中東しか知らない若者には、「今見ている世界と中東がこんなに怖いことになってしまったのは、そんなに昔からじゃないんだよ」と伝え、20世紀の中東を見てきた少し年嵩の人たちには、なぜ世界と中東がこんなことになってしまったのかを考える糸口を示すために書かれたものである。そしてその目的は、「世界と中東がこんなことになってしまったのにはちゃんと理由がある」ことを示すことにある。なぜならば、理由があるからには、解決も見つからだ。(P11より) 

 


9.11後の現代史 (講談社現代新書)

 

本書の内容-中東の今を歴史に位置付ける

中東をめぐる論点が章ごとに整理され、それまでの経緯を歴史に紐づけて説明するスタイルをとっている。

 

現在の中東の混迷がどのようにして形作られてきたのか、筆者曰く大きな転換点は3つあるという。1つがイラク戦争。もう1つがシリア内戦、そしてISの登場。最後が9・11米同時多発テロ事件である。アメリカの動向が中東にいかに大きな作用をもたらすか、ということだ。

 

ただ個人的には、1979年のイラン革命、1991年の湾岸戦争、2011年のアラブの春も中東を理解する上での転換点と思う。

 

今の中東の論点はいくつかある。

  1. サウジアラビアとイランの対立(中東における新しい冷戦)
  2. 新冷戦に伴う各地での代理戦争(イエメン内戦など)
  3. シリア内戦の行方
  4. パレスチナ問題
  5. クルド人の動向
  6. アメリカ、ロシア、中国、トルコなどの動向
  7. 国民国家の溶解
  8. 非国家主体の台頭-IS、クルド人など

           などなど…

 図にすれば、こんな感じだ。

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中東のわからなさ-それでも伝えたいこと

論点の多様さに加え、多様なアクターが登場するのが中東情勢の特徴だ。ただ、本書ではトルコやロシアなどシリア内戦にかかわりのあるアクターはあまり触れられていない。

中東情勢は様々なアクター、論点に加え、それらが大国のご都合主義で目まぐるしく変わってきた。これも中東の「わからなさ」に拍車をかける。

それに関しては長年中東を研究してきた筆者もこう述べている。

 

今中東で起きている無数の変化、展開をどう解明すればいいのか、悩みつつの執筆だった。35年間の中東研究の経験が、どこまで役に立つのか。中東は、歴史からは全く読み解けない、まったく新しい世代の世界になってしまったのではないかと、不安と模索の日々だった。

だが、紛争地にすむ中東の人々自身が、いったい何が起き、何故こんなことになったのかわからないと、困惑している。彼らの困惑と、絶望と、挫折感と、将来への儚い夢の背景にある政治の流れを、本書で少しでも伝えることができればと思い、何とか最後のページまでたどり着いた。(本書P219-220)

 

私はこの箇所を読んで胸が熱くなった。

35年間という長い時間を費やしてきてもわからないと、頭を抱えながら、読者に伝えたいことがある!と執筆しきった酒井先生の思いに胸を打たれた。

筆者は大国の動向、各国の動向をメインに説明する。だが、その根底には、そこに住む市井の人々がどう生きているのか、彼らは何を考えているのか、という視点が常にある。

本書を読めば中東情勢はわかる。そこに今いる人々の思いの一端を感じられるかもしれない一冊である。

あわせて同じ著者のこちらの本も中東情勢の理解を促してくれる。かなりおすすめだ。

 


〈中東〉の考え方 (講談社現代新書) [ 酒井啓子 ]

 

最後に本書の構成で終わりにしたい。 

本書の構成

第1章 イスラーム国 2014年~

 グローバル化した世界で広がるテロの恐怖

第2章 イラク戦争 2003年

 「安定のため」の戦争が、さらなる憎悪を生む

第3章 9・11 2001年

 悪夢のような新世紀の幕開け

第4章 アラブの春 2011年

 民主化運動から、難民問題へ

第5章 宗派対立? 2003年~

 混乱の原因は、果たして「宗教」にあるのか

第6章 揺らぐ対米関係 2003年~

 サウディアラビアとトランプ政権の蜜月

第7章 後景にまわるパレスチナ問題 2001年

 犠牲者No.1の座は誰のもの?

終章 不寛容な時代を越えて

 

www.yutorix.com

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しんどい働き方からバイバイ-木暮太一『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』星海社新書

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あれは働き始めてしばらくたったころのことだった。

 

僕はなんのために働いているんだろう。

 

仕事が重なってとてもつらかった時期がある。

そんな時にふと浮かんできたのが、自分の働き方への疑問だった。

 

幸いなことに何とかほどほどには仕事をこなせるようになった。ただ今なら笑い話にできるけれども、あの頃の辛さを再び繰り返さないという保証はない。

しんどくなると、世界はたちまち灰色になる。

 

あれだけ楽しかった授業準備も、授業も、今ではしんどさに拍車をかける邪魔者以外の何物でもない。

 

つらい。でも、給与はそんな高くない。本当に何のために働いているのだろうか。

 

見える世界がグレーになれば、出てくる言葉もネガティブなものになる。思い起こせば、当時(とはいってもほんのちょっと昔の)の僕は愚痴ばかり言っていた。

 

この本を読んで、当時の記憶がよみがえってきた。と同時に、その時の僕に欠けていたものが見えてきた。

 

 

本書『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』は、何のために働くのか、QOLが上がる働き方を模索する上でナビゲーションになる本だ。


僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか? (星海社新書)

  

給与はどうやって決まるか

グローバル化の流れの中で成果主義を導入する企業は多い。

ただ日本型雇用慣行の一つ、年功序列型賃金体系を採用している企業は依然として多いだろう。教育界は言わずもがなだ。

というか、教育に成果主義は合わないと思うが。

 

この本では年功序列型の企業でどのように給料が決まるか、マルクス資本論をベースに解説している。

曰く、僕らは企業に労働力という商品を提供している。

商品の価値は2つに分けられる。「価値」と「使用価値」だ。

そして、給与は価値をベースにして決められる。

では、そもそも「価値」と「使用価値」とは何なのだろうか。

 

「価値」とは、それを作るのにかかった手間で換算される。

もう少し詳しく言えば、「必要な原材料の価値の積み上げ+加工する労力(労働力の価値)」が商品の価値のこと。

これをおにぎりに例えれば、必要な原材料は米やノリ、そして具材だ。一方で加工する労力とはそれを握る労力のこと。これを足したものが商品の価値となる。

 

では、これを人間に例えるとどうなるか。

まず必要な原材料の価値の積み上げとは、次の日もまた次の日も元気に働くのに必要な資源のことだ。たとえば、食事や睡眠、住居、余暇の代金である。これら賄うために企業が負担する費用を労働の再生産コストという。ざっくり言えば生活費だが、社会一般的に(この本が書かれた2011年における社会通念としては)生活費は年を追うごとに高くなる。それは人生のライフステージを経るごとに関わる人が増えるからだ。結婚すれば妻を支え、やがては子を、そして孫を養う。そうなると生活費は高くなっていくだろう。基本的に年功序列型の日本企業はこの考え方に基づいて給与が上がっていく。

 

そして、もう一方の労働力の価値である。これは今までどれだけ自分がその労働力を身につけるのに時間を費やしたかで変わる。たとえば、おにぎりをただ握るだけの仕事と弁護士ではそれまでに身につけるべき知識・スキルが大きく異なる。だから、医者や弁護士など難関の国家資格を必要とする職は給与が高く、一方で単純技能のみを必要とする職の給与は低い。というか、自分自身に内在化された「原料」と捉えれば、スキルや知識・経験は前者の原材料に含まれるかもしれない。

 

さて、次は「使用価値」である。これは「その商品自体が役に立つ 」という意味である。たとえば、パンの価値は「食べた人の空腹感を解消する」である。

僕らは企業に役に立つ使用価値を提供しているのだ。

 

でさらに、給与を決める要因がある。それが需要と供給の関係である。

労働力市場において、成果を出している人は多くの企業からリクルートの対象となる。つまり、需要が多くなる。すると希少性が高いから給与は高くなる。

けれども、成果を出していない人は求められない。需要が少ない。だから、給与は高くはならない。

 

けれども、ベースは労働力の「価値」で給与が決まっているから、需要が少なかろうが、給与がこのラインで決まった値を大きく下回ることはないのだ。

 

しんどい働き方

はたらけど
はたらけど猶わが生活(くらし)樂にならざり
ぢつと手を見る

 

僕らの給与は価値ベースで決まっているといった。

 

だから、いくらがむしゃらに働いて成果を出しても給与は大幅には変わらない。あくまでも年功序列だから。

たとえば、頑張って残業してまで高い成果を出しても、確かに給与は上がるけれども、その分労働の再生産コストも上がる。

もし体を壊してそこから回復しようものなら、医療費なり療養費なり様々なコストがかかる。地位に応じて付き合いが増えれば、その分交際費が跳ね上がる。

 

結局、労働の再生産コストを上げて売り上げ(つまり給与)を増やしても、利益(給与からコストを差し引いた余り)は変わらないのだ。

 

めざすべき働き方

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では、どのような働き方をめざせばよいのだろうか。

 

筆者が提案するのはこうだ。

 

労働力の価値を使って稼げ。

 

どういうことか。

つまり、がむしゃらに働いて労働の再生産コストを上げるのではなく、労働力の価値を上げよう。そのために、知識・スキル・経験を身につけよう、と言っているのだ。

 

そして、そのためのマインドとして

 

労働力を消費するのではなく、投資する

 

という考えが必要だと言っている。

自分の労働力を投資できる仕事とは、その経験が「将来の土台を作る仕事」です。一方で、目先のキャッシュを追い求める仕事とは、自給は高いが「将来に何も残らない仕事」です。

 

教員における成果というと、あまりよくわからないが、労働力の価値はわかる。

それは授業準備、校務分掌・学級経営等の経験、教育理論・教科の知識などの蓄積だろう。

僕は新卒だから、こうした蓄積が皆無だった。毎日ヒーヒー言いながらプリントを作り、パワポを作り、授業を考えていた。それに校務分掌や部活動が重なった結果、退廃的になってしまったのだ。

 

こうした蓄積を日々積み重ねていくことで、労働力の価値は上がっていく。時間が少なくなっていけば、時間給で換算するとかなりの稼ぎ手となる。

 

だから、この本を読んで僕はこう変わった。

1つは、自分に振る仕事が価値(資産)となるか、否かという視点である。

基本的には学校というのは前例主義だから、すべての仕事をメモするのは当然にしても、それが資産となる仕事かどうかを考えて、頭の中でランク付けするようにした。

2つ目だが、資産にならないような仕事ならスピーディーにとっとと終えて、資産となるようなことに時間を使うようになった。それも意識的にだ。

 

自分は考える教育を施したい。そのためには今のままじゃ知識もスキルも足りない。だから、できるだけ教材研究に時間を費やし、業務はなるべき早く終えるようにし、読書に時間を費やすようにしているのだ。

 

 だから、今はしんどい。けれども、楽しい。充実感がある。

それは将来の理想の自分に向かって、着々と自分の価値を高めている実感があるからだ。

 

我日に我が身を四省す

 論語の一節に、「吾日に吾が身を三省す」という言葉がある。

その日1日を振り返って、自分が正しい行いをしたかどうかを確かめるために3つの問いを自分に課すのだ。

 

1.誰かのために真心を尽くしたか。

 

2.誠実に友人に接したか。

 

3.自分がわかっていないことを相手に伝えていないか。

 

僕はこの反省にもう1つ問いを足してみたい。

 

資産を作る仕事を、今日はどれだけやったか?

 

今はつらくても、10年後、その仕事は大きな土台になる。

今までの積み重ねで賢く仕事をしていこう。

  

ちなみにこの本は一般企業を想定しているので、すべてを置き換えて教育業界に当てはめるのは無理があると思いました。それとマルクス資本論がベースになっているので、抽象的な話が続きます。リアリティを感じるには、仕事始めの社会人だったり、まじめに仕事を考え始めた就活生が読者として適しているかもしれません。

混沌とした世の中だからこそ原理原則を-徴用工の問題を国際法と憲法から見よう-

去年の今頃、韓国では日韓協定が政治問題化していた。

文在寅大統領が見直しを示唆したからだ。

それに関して、去年こんな記事を書いた。

 

www.yutorix.com

 

要点をまとめれば、

  1. 韓国は自由民主主義国家と言われる。
  2. 国際法では、「合意」は拘束する、という原則がある。
  3. 国家間で結ばれた法(この場合、協定)は国内法に優越する。
  4. 合意を基礎にした法による統治を法の支配という。
  5. 法の支配は自由主義的な原則である。
  6. しかし、韓国では合意が度々反故にされる。
  7. つまり、自由主義の原則を守っていない。
  8. それは国内世論の動向を受けて行われる。
  9. つまり、民意を反映した結果として日韓合意の反故(あるいは見直し)が行われている。
  10. ここから、民主主義の原則に則っていると言える。
  11. 以上から、韓国は民主主義的ではあるが、自由主義的ではなく、自由民主主義国家とは言えない。

ということを書いた。

 

ちなみに日韓合意では日本に対する請求権は消失したということが合意されている。

ところが今回の徴用工賠償の問題だ。

新日鉄住金が賠償を命じられ、韓国内の資産を差し押さえられた。

www.nikkei.com

 

あれ。請求権は消滅したんじゃ。

それに、徴用の主体は日本政府であって、私企業である新日鉄住金じゃないんじゃ。

 

色々持っている知識でも説明がつかないため、いろいろ調べてみると面白い記事を見つけた。

gendai.ismedia.jp

 

どうやら今回の問題は法学的に見ると、合意の解釈をめぐる問題と言えそうである。

韓国の司法府は、あくまでも日韓合意は個人の請求権を含んでいない、という判断の下で、個人の請求権を認め、賠償判決を下した。

しかも、三権分立の下で司法府が下した判断であるから、行政府の意向が反映されていない、という。

 

しかしだ。

日本でも、社会の動向を反映して判決が下る場合がある。

再婚禁止期間を定めた民法の条文が憲法に違反するとして最高裁判決が下った。

明治時代に作られた規定は、DNA検査技術などの進歩によってもう妥当性を持たない、というものだ。

 

今回の韓国の徴用工訴訟も韓国民の世論を受けて、のように思う。

というのは、韓国では度々反日の気運が高まるからだ。今回も日本に反感を持つ世論が大勢だったことが裁判官が賠償命令を下した動機の根底にあると思えてしまう。

ましてや、合意の解釈に齟齬があるならば、なぜそこを法的に突き詰めた上で議論を日韓政府でしないのだろうか、一方的な解釈でよいのだろうか、と思う。

 

しかし、判決にはいろいろと問題はあるようだ。

先ほどの記事を見ると、判決の法解釈に問題があるとのこと。

また、国内法と国際法との兼ね合いの問題もあるようだ。

少し長くなるが、今回の問題がどこにあるかがわかるので引用したい。上

国際法は、一方的に国内法に対する優越を唱えて国内法を否定して見せる法体系ではない。むしろ国際法規範と国内法規範は併存しうる、と考えるのが、普通の国際法的な考え方である。いわゆる二元論的な「等位理論」である。国際法と国内法は、常に完全に一元的に一致するわけではないが、それは単に両者が異なる法体系だからだ、と認めるのが、「等位理論」的な考え方である。

国際法と国内法は、一致しないまま併存するがゆえに、調和を求める。しかし、時に逆に矛盾を抱え込み、義務の衝突をもたらすこともある。そこで必要になるのは「調整」である。「等位」理論は、必然的に「調整」理論のこととなる。

現在、日本政府が韓国政府に求めているのは、この意味での「調整」であると言えるだろう。

国際法を通じて韓国と接する日本政府は、したがって韓国行政府をただ責め立てるのではなく、その「調整」努力を支援し、促進していくべきである。

つまり韓国の国内法廷で私企業に負わされた責任は、国際協定の趣旨からすれば韓国政府が対応すべきものであり、それにしたがって韓国政府が財政措置や立法措置をとることを期待しなければならない。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58305?page=3(上の埋め込み記事と同じです)

 

今回の問題は司法府の動向に大きく左右された。

その背後に韓国世論の影響があったのかはわからない。

しかし、私は多少なりとも影響を与えたんじゃないかなと思っている。

少なくとも韓国の行政府は世論に非常に敏感であることはこれまでの日韓関係が証明している。

そうした韓国の姿勢を日本のマスメディアは「国民情緒法」と揶揄している。

 

ただ初めから「世論の影響を受けている!」と色眼鏡をかけて分析しても仕方がないので、冷静に議論するには自分の知識があまりにも欠けているなあと思う。

国際法、そして法学の勉強もぼちぼちしないとなあ。

着々と進むシンギュラリティ-その時、労使関係は-

AIの進歩は日進月歩である。

最近の変化のスピードを考えると、2029年に起こると言われているシンギュラリティも到来が現実味を帯びている。

ちなみにシンギュラリティとは人工知能が人間の知能を超える段階のことである。

 

 

山手線での実験

山手線で自動運転の実験を行われた。

運転手の手を借りることなく、速度調整や停車を機械が自動で行うという実験だ。

 

www3.nhk.or.jp

 

自動運転の技術開発は至る所で行われている。

鉄道だけでなくバスやトラック運送業、はたまた乗用車の分野においても開発に多くの資金が投入されており、同時並行的に技術が進歩している。*1


自動運転はまだ開発段階である。

様々な企業が参入しているとはいえ、基本的には資本力のある企業が開発を主導している。しかし、開発が進んでいき、導入費用が安くなれば、多くの企業が導入に踏み切るだろう。

 

大量導入の分岐点

その分岐点はどこか。

それは人間を雇うコストよりも機械を導入するコストの方が安くなった時だと思う。

経営者にとってみれば2つの点でメリットがある。

1つはコストの点。人件費がかからないのだから、その分が利益となる。

2つ目が労働者は「人」でなくなるということだ。労働者は人間である。人間ということは基本的人権、つまり労働基本権を享有している。だから、労働法で人権を守られている。

しかし、自動化されれば労働の主体は機械となる。機械には人権はない。しかも、昼夜問わず働かせることができる(保守点検や管理の面から実際には難しいだろうが)。

つまり、経営者は労務管理という業務から解放されるのだ。

労務管理も気にしなくてよいし、コストも安い。ならば経営者は導入しないわけがない。

こうした状況はインフラ系に限らず、様々な分野の業界で起こると思う。というのも、多様な分野でAI技術の開発が行われているし、だからこそ導入のコストは逓減していくからだ。

 

AIが浸透した社会で

そうした社会になった時、人間はどうなるか?

まず大量のリストラは免れないし、そもそも職にありつけない人も出てくるかもしれない。

単純技能は人間ではなく機械にやらせた方が合理的だし、運転という複雑技能ですら機械が代替してしまうため、大抵のスキルが陳腐化してしまうからだ。

(そういえばこの間、銀行に勤める友人が「窓口業務は今後AIが代替してしまう」と話していた。)

 

さて、話を戻そう。
では、人間に残された道は何だろうか?

それはAIができないことに人間が特化することだ。

AIに何ができるのか、いま議論が盛んになされている。けれども、自分は全体像がよく見えない*2

(偉そうなことを言っているくせに…)

ここではいったん能力については保留しよう。

 

どうすればよいのだろう

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さて、大量解雇社会が訪れたら、どうすべきだろうか?

誰しもが働けるためには、「AIにできない」能力を身につける必要がある。とするならば、学校を出る段階でAIにできない領域の能力を身に付けなければならないだろう。

 

一方で、リストラされてしまった人はどうなるか?

彼らは技能を持たないがために解雇された。では、技能を身につければいい。ここで重要なことは学びなおしの機会を用意し、さらには再雇用の機会を用意することである。個人が意欲をもって学びなおしをすることは当然だ。だが、社会の側が学びなおした人を報いるようなシステムを構築しなければ、その労力は無に終わる。

AIの浸透は産業構造を変えていくだろう。その構造がどうなるか現状ではわからない。

重要なことは、個人レベルで言えば、AIに代替されない知的能力を身につけること、そして学び直しができるよう文理問わず基本的な知識を持つことだ。基本的な計算式を知らなかったり、読解力がなければ、専門的な分野の勉強のハードルは非常に高くなる。

社会レベルで言えば、学び直しのシステムの構築、再雇用しやすい状況を作ることである。

 

 

そして私個人にとって重要なことは、AIにできること/できないことを明らかにすることである。

 

しかし、あらためて読み返してみると、資本家がすごく有利な社会になってしまうんだなあ。

*1:開発の背景の一つに人手不足がある。現状ただでさえ不足している労働者が将来的にはさらに不足すると言われており、将来の人材難に備えた企業努力の一環として活発な技術開発が行われている。

*2:参考までに、井上智洋さんは著書『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』の中で、AIにできないこととしてHospitality,Management,Creativityの3つの能力をあげている

産油国がこれほど影響力を持てるようになったわけは?-酒井啓子『〈中東〉の考え方』

中東、と言えば様々なイメージが飛び交う。

シリアやパレスチナといえば紛争の最前線だし、サウジアラビアUAEオイルマネーで潤う王族の国だ。

 

その産油国が世界経済に及ぼす影響力は大きい。1980年代の中南米諸国の工業化は中東諸国のオイルマネー流入した結果起こった。

しかし、200年前にはこの地域は大部分が砂漠で、寒村が点在する程度だった。

それがどのようにして現在のような大産油国の発展したのだろうか?

一つ言えることは、中東は大国に翻弄されてきた、ということだ。

以下の内容は酒井啓子『〈中東〉の考え方』の一部をまとめたものだ。

 


〈中東〉の考え方 (講談社現代新書) [ 酒井啓子 ]

 

 

湾岸諸国の歴史

大英帝国の支配

ヨーロッパにとって中東が重要だったのはインドと自国を結ぶ途中経路だったからだ。

当時強大な国力を有していたオスマン帝国を回避してインドとの交易路を確保するには、海洋を経由するほかなかった。

特にインドとの交易が死活的に重要だった大英帝国アラビア半島とインドの間の海洋安全保障を盤石にしようとした。

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元々アラビア半島には小さな漁村が点在する程度であり、石油の気配すらなかった。

さらには部族が激しく抗争を繰り広げており、統一的な権力が存在しなかった。

 

そこに交渉をけしかけてきたのがイギリスだった。結果、部族とイギリスの間で結ばれたのが休戦協定である。

この協定では、部族の抗争をイギリスが仲裁し、彼らを支配に組み込むというものだった。

イギリスにとってはペルシア湾岸の安全が保障され、部族にとってはイギリスの庇護の下ではあるが一国の首長に格上げされた。お互いにメリットのある協定だった。

たまたまその地域にいた部族が大英帝国のお墨付きを得て繁栄したのだ。

 

こうした偶然的に独立を果たした国とは異なり、サウジアラビアサウード家)は自力で独立を果たした。1818年,1824年とサウード家は自らの王国を打ち立てたが、当時その地域を支配していたオスマン帝国にたちまち打ち砕かれてしまった。

転機は英独の対立だった。

 

英独の対立

帝国主義政策をアジア・アフリカで繰り広げていた英独の対立は第一次世界大戦で頂点に達した。

ドイツ側についたオスマン帝国の牙城ではイギリスが工作を展開していた。

有望家のハーシム家を利用し、反乱を扇動していた。一方で、サウード家も独自に反乱を展開していった。

第一次世界大戦後は民族自決の理念が提唱されたため、イギリスはその批判をかわすために、中東に委任統治領を設置する。その任を任されたのがハーシム家だった。しかし、その後サウード家が躍進し、ヒジャーズ地方(アラビア半島の紅海沿岸)を支配していった。

ここでイギリスとサウジアラビアとの不仲につけこんで接近したのがアメリだった。

 

アメリカの本音は中東の石油の確保だった。

1933年にアメリカの石油会社とサウジアラビアが提携し、それ以後経済的・軍事的に関係を深めていく。

 

米ソ冷戦

1945年から1989年にかけてアメリカとソ連が二大陣営に分かれて争い合った。冷戦だ。

冷戦の影響は中東にも及んでいく。

当時、西側諸国にとっての脅威は「中東諸国の油田地帯がソ連支配下となる」ことだった。 

一方で、サウジアラビアにとっても脅威が近づいていた。周囲の国家が次々に共和制国家と変わり、自国内でも反王制派が勢いづく中で、自国の体制を護持することが急務となっていく。 

共和制国家はアラブ民族主義を掲げ、イスラエルに対して4度の中東戦争を仕掛ける。エジプトのナセルは1956年にはスエズ運河を国有化し、欧米の支配に立ち向かった英雄としてアラブ諸国から喝采を受ける。

一方で中東の産油国はカネも出さないし、血も流さないというように、共和制国家に引け目を感じていた。

ちなみにアラブ民族主義とはアラブ民族がまとまるべきという思想であり、これらを採用した国々の多くは貧困層に配慮した社会主義政策を取り入れた。

そうした左派共和主義国家は、イギリスの衰退でさらに伸長していく。

 

1968年、イギリスがスエズ運河から東の地域から撤退を宣言した。

今までイギリスの庇護の下にあった湾岸諸国家が独立を果たしていった。

しかし、権力の空白地帯に争いが起こるのは歴史の常である。

 

新たに独立を夢見る勢力が政権に剣を突き付ける。それがイエメン内戦だった。

イエメンに共和制政権が誕生し、かつての王制派との内戦に突入した。エジプトは共和制政権を支持し、サウジアラビアは王制派を支援する。サウジアラビアの隣国イエメンで大国同士の代理戦争が勃発したのだった。

周囲を共和制国家に囲まれ、王制の危機に瀕したサウジアラビアは戦略を打ち立てる。

民族主義に代わって打ち立てたのが、イスラームの盟主」としてのサウジアラビアという方針であり、それを通じてイスラーム諸国との関係改善を図った。

そして、それを可能にしたのが1973年の石油戦略の発動だった。

 

石油危機

第二次世界大戦後、かつての植民地諸国が政治的には独立しても経済的には旧宗主国に従属していた。この問題を南北問題という。

中東における南北問題の象徴は石油資源の欧米メジャーによる独占だった。

そうした支配に対抗するために石油産出国が結束して、1960年にOPEC石油輸出国機構)、1968年にOAPEC(アラブ石油輸出国機構)を結成した。

そして転機が訪れる。

1973年の第4次中東戦争をきっかけに、OAPECがイスラエル支援国に対する石油禁輸を発表した。さらにOAPECが石油価格を引きあげたため、石油価格が4倍に跳ね上がる。

こうして起こったのが石油危機、オイルショックだった。

欧米や日本をはじめとした先進国は経済的に大きく打撃を受ける一方で、アラブの産油国は発言力を高めていった。

 

石油危機を契機に産油国の国庫に大量のオイルマネー流入する。

産油国は非産油国イスラエルの隣国などへオイルマネーを活用した経済援助を行う。パレスチナ問題に関して、血は流さないがカネは出すという姿勢の表れであり、これを通じてアラブ諸国の間で地位を確立していった。もはやアラブ民族主義国家は産油国のカネに依存しなければ生存できなかったのだ。

また石油危機の際に先進国に対抗できた事実によって、アラブ諸国の中で一目置かれるようになった。

1973年の石油危機を端にして、イスラエルに武器を取って戦うアラブ民族主義国家の優位は、カネを出して援助をする産油国に取って代わられたのである。

 

産油国の特徴

サウジアラビアクウェートなど産油国において、外国人労働者の割合は非常に高く、人口の7~8割を占める。

これら国々は王制であり、体制の維持が最大の目的である。

当然国民の政治的自由は抑圧されている。

それでも不満が噴出しないのは、税金を取らずに潤沢なオイルマネーによる利益を国民に分配するからだ。ちなみにそうした国家をレンティア国家という。

また自国の軍隊はかなり貧弱だ。それもそのはずで、アラブ諸国では軍事力を拡充した結果、軍隊がクーデターを行い、政権を奪取するという歴史が繰り返されてきたからだ。エジプトしかりシリアしかりである。

軍隊の拡大は王制の崩壊につながる可能性を持つ。

だから、産油国は自国の安全保障を周囲の軍事大国に依存する。

その際に役立つのがオイルマネーであった。

たとえば、1979年のイラン革命は革命の余波が王制国家へ及ぶ危険があった。

そこで隣国のイラクに軍事支援を行った。

また1988年のイラン・イラク戦争でもイラクを経済的に支援する。その結果勝ち残ったイラクは中東屈指の軍事大国となる。

 

冷戦の終結湾岸戦争

戦争が終結し、もう脅威は消えた。そこでクウェートイラクにカネを返せと言う。しかし、イラクとしては産油国の防波堤として奮闘したのだから返さなくてよいという認識だ。

こうしたいざこざを背景として、1990年イラククウェートに侵攻する。湾岸危機だ。

この時、イラクは「パレスチナからイスラエルから撤退するなら、イラククウェートから撤退する」と宣言した。

アラブ諸国の支持を買うため、パレスチナ問題とクウェート侵攻を結びつけたのだ。

これをPLOパレスチナ解放機構)が支持した。

ところが戦局はイラクの思い通りにはいかなかった。

アメリカが介入し、イラクとの戦争に突入したからである。湾岸戦争だ。

おりしも1989年に冷戦が終結しており、アメリカを敵に回してもソ連に泣きつけばよい、という冷戦中の常識は通用しなくなっていた。アメリカが重い腰を上げて中東の紛争に介入したのだ。

そこでイラクが選んだのはアメリカと戦い、英雄となる道だった。

だが、結果は惨敗。イラクの敗北という形で、あっという間に戦闘は終結した。

戦争終結後、アラブの産油国パレスチナから距離を置いていった。湾岸戦争まではパレスチナへの支援を通じてアラブの大義を果たしていたが、PLOイラクを支持したことから湾岸戦争後はその援助を打ち切る。アラブ諸国家の連帯は湾岸戦争を契機に崩れ去った。

ちなみに湾岸戦争以後、アメリカはサウジアラビアに駐留するようになる。

これが後々9・11の遠因となり、中東の混迷を深める一因となる。

それにはアフガニスタン情勢や冷戦中の中東の動向を詳しく理解しなければならない。

その後、9・11をきっかけに産油国と欧米の関係が悪化する。

欧米への投資を控えた一方でオイルマネーはドバイの開発へと向かう。

これがドバイを世界有数の都市へと押し上げた理由である。その後もドバイは発展を続けている。 

 

サウジアラビアってどんな国?

王制国家であり、自国民は3000万人ほど。

体制の維持のため政治的自由を抑圧しているが、近年は自由を認めるようになっている。

軍事力は他国に依存している。 

 

本書の魅力

本書の内容の一部をまとめてみた。

中東情勢は複雑ゆえに手ごわい相手だが、わかった時の爽快感は得も言われぬものがある。

本書の出版は2010年とアラブの春の前なのでやや古く、トルコやシリアにはあまり触れられていない。しかし、当時において「最新」だった問題の原因を歴史の中で位置づける手法は、問題の背景をとても分かりやすくしてくれる。

9・11の淵源を冷戦期に遡って考察していたり、アラブの春の直前にアラブ諸国SNSが普及していることを取り上げていたり、中東の様々な側面を知れることは間違いない。

中東情勢がわからない!という人にはまずこれを薦めたい。

 

ちなみに同じ著者の続編が2018年の1月に出版されている。

 


9.11後の現代史 (講談社現代新書)

 

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加藤公明さんの実践がすごい-考える日本史授業

去年の暮れのことだった。冬休みでダラダラとツイッターを見ていたら、衝撃が走った。

 

 

思考力を伸ばす授業って何だろうか、と思っていた矢先のことだった。

すごい…という感覚以外なかった。

このツイートをきっかけに、加藤公明先生の実践に興味を持った。

気になったのでよーへいさん(@you5he5she)にDMを送ったところ、授業中のメモをいただいたので、ここにまとめてみたい。

 

 

加藤公明先生について

加藤先生は大学院まで日本史を学び、その後千葉県の県立高校で教員になった。以後37年間高校の教壇で日本史を教え続け、現在は大学で客員教授としても教えている。

 

その実践について

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加藤先生が行っているのは「考える日本史授業」だ。

自分が楽しく勉強していた歴史の授業を生徒はつまらなさそうに受けている。もっと楽しんでもらいたい、もっと主体的に学んでもらいたい、そういう思いから生まれたのが「考える」授業である。

 

その手順は以下の通りだ。

  1. 資料を配り、問題を提起する。
  2. まずは個人で考え、その後、全体で問いを共有していく。
  3. 各自の問いを基にそれぞれが仮説を立てる。
  4. 仮説を検証し、そこから得た解からさらに問いを発展させる。

 

  

加藤先生は質問づくりが苦手な生徒にもプロットを用意して、きちんとフォローしている。主体的に学習に向かうには丁寧なフォローが必要だ。そのためには、生徒がどこでつまづくか教員の理解が欠かせない。

 

 

この取り組みのすごいところは、問いが生徒によって作られているという点である。教員が問いを提供しても、それは生徒にとっては考えたい問いとは限らない。

自らが問いたいことを考え、それを検証していく。生徒の内在的な知的欲求を満たすような試みがこの授業の特筆すべき点であろう。

 

思考は問いから始まる。問いによって思考は駆動し、考えは発展していく。そして、語ることで考えは形になり、対話がはじまる。対話によって思考はさらに深まっていく。

 

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実践の問題点

問題点として、よーへいさんがこんなことを言っていた。

 

確かに自分一人で考えるという点、そして教材の保持という点からはこの授業は物足りないと思う。

けれども、思考は一人だけだと行き詰まることが多い。修士時代、研究室に閉じこもって一人で考えていても考えが煮詰まることが多かった。だが、友人と議論すると「あっそういうことか!」と考えが明確になることが多かった。対話は時に思考を深めてくれる。

また、生徒の知りたい!という思いから始まり、それを満たすような授業は生徒の性質に左右される。生徒の自由な発想を重視するならば、仕方ないのだろう。

加藤先生の実践には限界もあり、一方で大きな効果もある。よーへいさんの指摘がなければ、批判的に見ることができなかったかもしれない。

 

自分の思い

対話型実践に取り組んでみたいと思っていたところで、こうした授業に触れることができたのはとてもうれしいことだ。

 

加藤先生の実践の良いところは

  1. 生徒が自発的に問いを出しているところであり、問いが思考の出発点だとすればスタートラインをしっかりと整備している。
  2. しかも、その問いは教師が提供したものではなく、生徒が出したものであって、ここではイヤイヤ勉強するということはあり得ない
  3. ただ、材料を提示して、そこから考えるという点で思考の範囲は限定的であり、ある意味で強制的に題材を考えねばならない。日本史嫌いにはつらいかもしれない(考える誘因がない)。

 

問を立て、仮説を設定し、それを検証し、そこから得た解からさらに問いを発展させる。思考のサイクルが授業の中でぐるぐると回っているのだ。

 

この授業では、問いを出し、仮説を立て、検証していくプロセスは生徒と教師が協力的に行う。時に教師がヒントを出したり、あるいは生徒が問いの取り組みに参加できるようフォローを行う。

自由な発想を重視し、探究のサイクルを稼働させ、生徒が歴史に向かっていくような試みがなされている。ある程度方向性が限定されているとはいえ、学びがどこに向かうかはわからない。

 

こうした授業を行うには、教師に以下の要素が求められると思う

  1. 幅広い観点から問いを作り、仮説を立て、それを検証できる思考力
  2. 教材に対する十分な理解と圧倒的な知識量
  3. 問いかけや議論を進めるファシリテーション能力

 

加藤先生のように生徒の考える力を伸ばしていきたいなあと思う。

理想の授業に向かって、日常的にこつこつと実践を積み重ねていきたい。

最後に、こうした気づきを得ることができ、さらにはブログでの引用を快諾してくれたよーへいさんにこの場を借りて感謝を申し上げたい。

ありがとうございました!

 

平成最後の一般参賀に行ってきた

昨日は友人と一般参賀に行ってきた。

 

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去年、今年に続き2回目の一般参賀

今年はニュースの通り過去最多の人数らしく、朝9時前に皇居に着いた時点でかなり混雑していた。

 

皇居周辺の道路には地方からのツアーできたであろう多くのバスが並んでいて、沿道には地方ナンバーの車がズラリ。これだけの人を動かす力、すごすぎるなあと。

 

僕らが長和殿前の広場についたのは12時過ぎ。次に陛下がお言葉を述べられるのは13時30分の予定だった。

「あと1時間半か…(寒い・友人との話題が尽きた・どうしよ)」

と思っていたら、なんと13時に変更となった。

あまりにも人数が多かったためか、お言葉の時間が変更され、回数も増えたとのこと。

 

天皇のお言葉に思うこと

時計が13時を刻む。

天皇陛下と皇族方がお出ましになられ、同時に万歳の声が鳴り響く。

天皇陛下、万歳!」「バンザイ!」…

 

そして天皇がお言葉を述べられる。

鳴り響いた群衆の声は静まり返り、天皇のお言葉に注目が集まる。

そしてお言葉を述べられた後、再び群衆が声を上げる。

万歳三唱の嵐は鳴りやまない。皆皆が日本国旗を振り、万歳を叫ぶ。

会場の一体感たるや言葉にできないものがあった。

 

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ここであることを思い出した。

日本国憲法1条だ。

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

ここにいる人の中には外国人もたくさんいる。

しかし、この瞬間においては天皇陛下に親しみを持ち、中には敬っている人もいるだろう。少なからず私はそういう気持ちをこの場の人々と共有した「気持ち」になった(あくまでも私個人の感覚であって、他の人がどう思っているかは別の話である)。

そして、この場・この瞬間に、「ああ、自分は日本国民なんだなあ」と。

「これこそが統合の象徴ということなんだなあ」と、そういうことをすごく実感した。

 

まさに概念と生活が結びついた瞬間だった。

 

近代国家は、国民の創出を必要とした。その際、多くの人を国民というくくりでまとめるには統合の強力なシンボルが必要だった。王政復古を断行した明治薩長政府が天皇に期待した役割がそれだった。

戦後、天皇人間宣言を行って宗教的シンボルではなく、新たな統合の象徴となった。

そういう歴史的背景・概念今眼前に広がっているもの・感覚がリンクした体験だった。

 

こういう体験を生徒にさせてあげたいなあと思う。

別に国民としての実感云々の話ではなくて、教室で学ぶ概念と生活がリンクするような体験だ。

 

なにはともあれ最後の今上天皇陛下のお言葉を聞けて、良い1年のスタートをきれた。

それでは。

 

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2019年の抱負-義理と人情を忘れずに-

みなさま、あけましておめでとうございます。

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早速ですが、今年の抱負を書きたいと思います。

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一番大事なのは「将来、どうなりたいか」

大きな目標として将来どうなりたいのか、そこから逆算して日々の行動にまで落とし込んでいきたいと思う。

 

大きな目標を掲げれば、私はこんな先生になりたいと思っている。

考える力をしっかり伸ばす先生

義理と人情に篤い先生

1.理想の指導に向かって

授業を通じて、考える力を身につけさせたい。それが教育にできることだと信じているし、それが日本を発展させると思っている。そもそも私が教員を志した動機は、多くの人が考える力を身につけることだった。

 

2.人格者としての教師に

人情味のある先生になりたい。

人情とは、相手の心の動きを考えたり、思いやりを持ったり、相手のことを思うありさまだ。

今までの人生の大半を配慮を受ける側(つまり学生として)過ごしてきた。教師になったのだから、配慮する側へ変わり、生徒への配慮・心配りをできる人格者たる先生になろう。

 

もうちょっと具体的にすると

1.理想の指導に向かって(具体的に)

①実践報告を記録として残す

今年は論文を書き、授業の成果を発信したい。

発信は自分を成長させる。論文を書けば、自分がどのような教育を行っているか改めて認識する機会にもなるし、執筆の過程で様々なことを調べ、検討するため、ものすごく勉強にもなる。

②教材内容に対して深く理解するようにする

私が理想とするのは対話型、討論型の思考力を重視した授業である。授業の中で生徒の自由な発想を重視するのであれば、彼らの興味関心に答え得る幅広い知識が必要だと思う。もちろん、ICT環境が整っていればすぐに調べられるであろうが、知識があればそれに越したことはない。日常的にアンテナを広く張り、学びを深めていきたい。

③考えるとは何かを理解し、その手順を人に伝えられるようにする

討論や対話は集団で思考を進めていく。そのためには個人で思考が進められなければならない。ましてやファシリテーターとして話し合いにかかわるのであれば、そうした素養は必須であろう。自分自身が思考できるように書籍を読み、アウトプットし、実践を重ねていきたい。

④教科の力をつけるために各種試験に挑戦する

ニュース時事能力検定1級、歴史能力検定日本史1級、世界史2級、法学検定初級コース、経済学検定に挑戦する。

2.人格者としての教師に(具体的に)

①生徒が困っていることがあればすぐさま助ける、そんな教師でいたい

話を聞いたり、関係性を構築したり、アドバイスをしたり、生徒の心のケアができる人になりたい。そのベースにはコミュニケーションが取れることが大前提だ。だからこそ、人の心に敏感であるために、小説を読んで心の在り方を学んだり、心理学を学んだり、人に積極的に会おうと思う。

ただ、優しさと甘さは峻別し、一線を越えてくる生徒には厳しく対応していきたいと思う。

友達先生にはならず、親しみやすいけども言うときは言うというスタンスを大切にしていきたい。

何はともあれ関係性の構築が必要だと思うので、積極的に話しかけるなど、自ら動きだそう。

②精神が安定するよう心がけよう

気分のムラが出て、学校でもそれが如実に出ていた時があった。

自分の気分次第で生徒に厳しくしたり、甘くしたりするのは教師としては最低だ。常に精神が穏やかであるように、アンガーマネジメントなどメンタル管理の勉強をしていきたい。

 

数値目標を掲げよう

1.理想の指導に向かって(数値目標)

①思考力を重視した授業を3か月に1回は実践する。

②2019年中に論文を1本執筆し、発表する。

1週間に1冊は読書をし、その書評をブログに記事化する。つまり少なくとも年間52冊

④勉強会や研究会など対話の実践に少なくとも月1回は参加し、自分自身の考える力を伸ばしていく。

⑤ブログの執筆を通じて考える力を伸ばす。1週間に2記事。つまり、52週×2記事=104記事を最低でもアップする。

⑥教材研究のために、2週間に1つの単元案を作る。

⑦大学の基本書を使って経済学と法学の勉強をそれぞれ1日30分する。

2.人格者としての教師(数値目標)

①相手と会話するときは、相手の考えていることを必ず想像するようにしよう。

②小説・心理学関連の本どちらかは少なくとも1月に1冊は読む。

 

信条として

最終的な目標として、義理人情に厚く、考える力を伸ばす指導ができる先生になる、といった。

だから、やさしさと冷静さを忘れずにいたい。

どんなときでも”Cool head but warm heart”でいこう。

 

まだまだ未熟者ですが、どうか今年もよろしくお願いいたします。 

 

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2018年の振り返り

今年は修士の学位もとることができ、念願の教師にもなれた。

一年はあっという間だ。

限られた時間の中で今後も成長するために、今年の自分のあり方を振り返りたいと思う。

 

 

仕事面での振り返り

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振り返りの際の根本的な問いはこれだ。

自分はどう成長したのか?

何を学んだのか?

 

5つの面での成長

1.日常的に校長や教頭などの管理職、教員に会うため、別の学校の管理職などに会っても緊張しなくなった

学生時代は無条件に「教師ってすごい!」という感覚を抱いていたが、今は自分も教師になり、また日常的に接する人たちが教師なので色眼鏡を外すようになった。むしろ内面や行動などから判断するようになった。

2.自分を受け入れるようになり、まあいいかと思うようになった

最初はあらゆる生徒に好かれるように努力していたが、結局どんなに努力したところで、好く生徒もいれば嫌う生徒もいるとわかった。だからこそ、ありのままの自分を肯定するようになった。

結果として好かれるように媚びを売っていたころよりも格段に精神状態は良くなった。

3.多様な勉強の方法を知り、様々な分野に手を出すのをいとわなくなった

教材研究の過程を通してある分野をきちんと理解して、腑に落ちたという感覚(いわゆる成功体験)を積み重ねた。

あらゆる分野への学ぶに応用できると思い、苦手だった理科系にも手を出し始めた。異なる科目でも同じ勉強方法を通じて腑に落ちる感覚を得たので、学びに積極的になることができた。

4.考えるようになり、そのおかげでより学ぶようになった

新聞を読んだり、本を読んでいる時など、日常的に問いを発し、疑問を持つようになった。その問いに応えるべく、考えたり、調べたりするようになったため、様々な方面へのアンテナが広くなった。幅広い教養の重要性を身に染みて感じている。

5.自分の特性について考えるようになった。

仕事を通じて、自分は仕事に何を求めているのか、自分にとって大事なものは何なのかということを絶えず考えてきた。

たとえば、お金は大事だし、やりがいも大事だと思う。

なにより仕事を楽しめないと人生はつまらなくなるし、仕事自体が相手の身になることであって、相手にとっての価値を提供できているという感覚をもたないと自分が無力だという感覚に陥ってしまうことがわかった。自分の納得感が仕事を楽しくするというか否かの分水嶺となる。

 

何を学んだのか?-4つの学び

1.ルールを徹底することの大切さ

一度教師と生徒の間で合意したルールは定着するまでに時間がかかる。生徒も忘れるし、その都度教師が指摘しなければ血肉にならない。

だから、教師がルールを内在化し、絶えず生徒に働きかけなければルールは形骸化してしまい、教室にはカオスが訪れる。

2.ダメなものはダメときっぱり言う勇気

生徒と関係が近くなると、生徒が甘えてくる。「授業もうやめようよ~」と言ってきたのを肯定したり、些細なルール違反を見逃したりすると、生徒はそれに甘んじてしまう。教室内の秩序を維持するには、ダメなことをダメと言う「教師」としての接し方が大事なのだと学んだ。

3.生徒に合った教材を用意すれば、生徒は学びに向かう

授業中にスマートフォンをいじる生徒がいた。何度注意してもやめなかったが、教材に向かうよりもスマートフォンに向かうインセンティブの方が大きいんだと判断して、教材に工夫を凝らした。クイズを作ったり、統計の読み取りをさせたりと、参加型の授業を構築することで、その生徒はいじるのをやめた。生徒の実情に合わせた教材の作成が全員の学びを促すと確信するに至った経験である。

ちなみに大村はま先生に影響を受けて、実践したらその通りだったので、この考えを持つに至った。

4.いつも笑顔でいることの大切さ

授業はコミュニケーションの一形態に過ぎない。とすれば、コミュニケーションの際には笑顔でいる人の方が接しやすいに決まっている。笑顔であれば、近づきやすく、近づきやすさは関係性の構築の助けとなる。信頼関係を構築すれば授業は生徒にも教師にとっても楽しいものとなる。言い合える関係性ができるからだ。特に対話を重視した教育を行いたいと思っている自分にとっては、笑顔でいることはとても大切だ。時に気分が落ち込んでいる日には、それが如実に顔に出ていたので、来年は笑顔でいることを心掛けたい。

 

ブログについて

2018年の更新数

2018年はこの記事も含めれば45記事を作成した。月に4記事いかないくらいの更新頻度だった。

来年は最低でも週2記事を書くとして、52週×2記事=104記事は書きたい。

記事の執筆を通じて、考え、知識を増やし、知見を高めることができた。

反省としては、本を読みっぱなしにしたときもあったので、これからは毎回必ず書評を書くようにしよう。

アウトプットを踏まえたインプットこそ、勉強方法の王道である。

なんのために発信するのか

発信誰かに自分の考えを伝えることである。誰かが明確であれば、その人に合わせた言葉遣いを考えなければならない。たとえば、ビジネスマンと小学生をそれぞれ対象とすれば、言葉遣いは異なってくる。

記事を執筆するとなれば、「自分が誰に何を伝えたいのか」を改めて問う機会を持てる。

そうしてたどり着いた考えを言語化することで、自分自身の考えを客観視することができる。メタ認知ができるのだ。しかも、思考の過程で活用した知識はなかなか忘れることはない。一石何鳥やら。

 

反省点

生活面

1.よく風邪をひいたり、病院に行くなど体調を崩しがちだった

その原因には十分な睡眠時間を確保できなかったという事情がある。

教材研究でプリントやパワーポイントの作成、そして教材自体の理解が追い付かず、日の出を迎える時もあった。とてもつらかった。

十分寝れるよう、日頃から教材研究に励みたい。

2.お金の管理を徹底していなかった

給与の大半は生活費へと消え、残りの微々たる部分も自己投資という名の消費(ほとんど書籍代)に消えていった。来年はお金を管理し、ある程度貯蓄したい。

授業面

授業を通じて「生徒にはこうなってほしい」という理想の姿、学習目標を立てていなかった

最終的なゴールが見えないため、評価もできないから、授業をやり切った感覚だけがあり、それが意味があったかどうかわからずじまいになってしまった。

授業を通じての理想の姿、学校教育を通じての理想の姿などなど、学習目標をきちんと立てるようにする。 

 

まとめ

まだ振り返りきれていない部分もあるが、大いに学びに向かった一年だったと思う。生活習慣を改善し、来年は健康に生きるのが大きな目標です(笑)

中東情勢複雑怪奇-高橋和夫『中東から世界が崩れる イランの復活、サウジアラビアの変貌』

中東情勢複雑怪奇。

 

 

日本だと中東の問題は宗教問題で片付けられることが多い。しかし、宗教だけでなく、他の視点からも切り込んでいるのがこの本である。

結論を言えば、中東情勢についてわかったことも多かったし、疑問も多く出てきた。

 

 

本書で気になったところ

サウジアラビアとイランの関係

2016年1月、サウジアラビアとイランが国交を断絶した。

サウジアラビアスンニー派、一方でイランはシーア派の大国だ。

ただ、サウジアラビアには少数ながらも、シーア派がおり、国交断絶はシーア派の人権問題が発端とされている。

しかし、サウジとイランは元来仲が悪い

そもそもサウジはアラブ人の国である。一方で、イランはペルシア人の国だ。

また、サウジにはメッカやメディナなどの聖地があり、自らを神州と自負している。一方、イランはペルシア文明の国であり、遊牧民のアラブ人を見下している。自らが中東の中心だという中東版「中華思想」を持っているというのだ。

さらには体制の違いも大きい。サウジは王制の国である。一方で、イランは1979年のイラン革命以降、共和制を採用している。革命がサウジに飛び火すれば、王制は崩壊しかねない。

こうした元々あった対立が顕在化して国交断絶となったというのが、筆者の見方だ。

 

シリア内戦の推移

『中東から世界が崩れる』

タイトルとして念頭に置かれていたのは「テロ」「難民」である。

シリアとイラクの混乱が多くの難民とテロリストを生む土壌となっている。

シリアの内戦はアサド政権と反政府側の対立である。反政府側は、さらに非宗教勢力の自由シリア軍、宗教勢力のIS(イスラム国)などに分かれる。

内戦のきっかけは2011年のアラブの春だった。熱狂した民衆がアサドの写真を燃やし、反政府デモを行い始めた。これに対してアサド政権が軍隊を動員して鎮圧し、内戦に発展したのだ。

なぜ政権は国民に発砲できたのか?それは宗派が異なるからである。アサド政権は少数派のアラウィー派シーア派の一派とも)であり、国民の大多数はスンニー派である。だからこそ、民主化がなされれば、少数派であるアサド政権は崩壊してしまう。体制の維持のために鎮圧に踏み切ったのだ。

 

では、ISはなぜこの地域で生まれたのか?

その原因はイラク戦争に遡る。2003年、イラク戦争終結に伴い、イラクの国家運営を担っていたバース党が解散された。戦前の日本の大政翼賛会のようなもので、国家のあらゆる組織にバース党が根を張っていた。

それをアメリカは解散させ、公の場から追放したのだ。失業した人々はISのリクルート活動に誘われ、こうしてISは拡大していった。日本の公職追放は官僚組織を温存したが、イラクの場合は徹底的に公職追放が行われたため、IS拡大の土壌となったのだ。

また、2011年にアメリカがイラクから撤退したため、マリキ首相が多数派のシーア派優遇策をとり、少数派のスンニー派を冷遇した。これもIS拡大の要因となっている。

 

この本について

良い点

歴史から紐解いて中東の現在を説明してくれるため、すんなり頭に入る。

宗教問題だけで片付けずに、地政学など国益の観点から説明してくれるため新しい視点を手に入れられる。

注意点

この本が出版されたのは2016年の6月。

それから2年ほどのブランクは別の本にあたるのがよい。

自分としても、以下のことがわからなかったので、調べるつもりである。

複雑ゆえに一筋縄ではいかない。

  1. イスラエルに関してあまり言及がないため、中東での位置づけが気になる
  2. サウジアラビアとトルコの関係には触れていない
  3. シリアと中東各国の関係にも触れていない
  4. なぜイラク戦争が起きたのか、アメリカの動機が書かれていない
  5. サイクス・ピコ協定前後からの中東の歴史的推移

中東から世界が崩れる イランの復活、サウジアラビアの変貌 (NHK出版新書)

 

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