Shiras Civics

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「人生をどう生きるか」がテーマのブログです。自分を実験台にして、哲学や心理学とかを使って人生戦略をひたすら考えている教師が書いています。ちなみに政経と倫理を教えてます。

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本が積み重なっていく悩み

 

教員の悩みの一つは書籍の購入頻度の多さと、それに比例して消えゆく収容スペースの存在だと思う。

かくいう私も当事者の一人である。

 

 

興味をそそる本が出る出る

 

book store, late night

 

出版不況といわれて久しい。

一方で出版社は「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」の精神で、新刊を毎月数冊と出版している。

「何じゃこりゃ!」という本はあるけれども、「これは!!」という本が多いのも事実である。

 

たとえば、1月の新書の新刊ラインナップはこんな感じ。

 

岩波新書

 

中公新書

 

講談社現代新書

 

ちくま新書

 

たまる積読、膨らむ本棚

 

1月の新刊だけでも5冊購入している。

 

毎月のことであるが、なんという魅力的なタイトルだろうか。

こうして毎月のごとく、タイトルにつられてはキャパシティと相談もせず購入して、本棚の肥やしにしてしまうのである。

 

Book store.

 

本屋をぶらぶらすることは、この上なく幸福である。

立ち読みしたり、気になる本をチェックしている間は至福の時間なのだ。

そして、気づけば手元には購入済みの本がある。

こうしてどんどんと積読がたまっていく。

 

ただ幸いなことは、手元に置いておくことで「読みたい」という気持ちをいつでも思い起こせることだ。

3年前に買った本でも手軽にすぐ読めるのは非常に便利だと思う。

と、こんなふうに積読の正当化をしておこう。

来月もきっと買うのだから。。。

 

(先生方の書籍事情はどうなのだろうか。)

 

情報収集のために

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アンテナを高める上でも、フォローおすすめです。

 

それでは。

 

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【書評】主権者として金融にどうかかわるか~湯本雅士「金融政策入門」~

 

 

金融政策?ふーん?

 

日銀が金利を下げた…FRBが利上げした…

めまぐるしく届くニュースの中でも、金融政策ほど生活から遠く離れたものもないかもしれない。

難しいニュースを見たところで、出てくる言葉は「ふーん」という人も多いだろう。

 

けれども、金融政策の最終決定者は我々国民であって、その動向を注視することは極めて重要なことなのだ。そんな戒めを述べているのが今回紹介する「金融政策入門」である。

 

筆者は述べる。

 

金融政策というと、中央銀行のだれか偉い人が決めているというような感じを持たれているかもしれませんが、実は(間接的ながら)国民自身が決定し、その結果はみずからが引き受けるという覚悟で臨んでいる。そうした感覚を常に持ち続けることの重要性を、最後に改めて強調しておきたいと思います(P240)。

 

大原則は、主権者である国民自身が国のかじ取りを決めることである。国民の生活から乖離した政策決定は正当性をもたない。

 

では、金融政策とはそもそもなんなのか。また、国民生活にどのような影響をもたらすのだろうか。本書は初歩的な用語も丁寧に説明しながら、金融政策の大枠を提示してくれる。筆者の親切な人柄が垣間見える一冊である。

 

金融政策とは何か? 国民生活にどんな影響があるのか?

 

Money

金融政策を定義する前に、金融の定義をしたい。

本書によれば、金融とは「手元に資金が余っている個人や組織が、資金を必要としている経済主体にそれを提供して利用させることである」(P2)。

 

こうした金融の機能を健全な状態に保つことも金融政策の役割の一つである。

 

さて、本書の中で金融政策は次のように定義されている。

 

政策担当者が、一定の意図をもって通貨・金融面から経済主体の行動に働きかけ、その意図を実体経済面に実現させるべく努力する一連の行為である(P22)。

 

金融政策の目的は物価の安定と景気の調整の2つである。

物価や景気の状況は国民生活に大きな影響を及ぼす。たとえば、不動産価格などが急激に上昇したバブル時代においては、勤労者が都市部の住宅に手を出せないほど、住宅や土地の価格が高騰した。また、不況になれば企業は採用人数を絞るため、多くの大学生が就職活動で苦戦するようになる。就職氷河期世代と呼ばれる世代は悲惨な状況にある。

 

マクロの経済動向が人々の生活を左右する。そうした経済動向を調整するために、政府は財政政策を、中央銀行は金融政策を行っているのである。

 

ただし、その具体的な手法は金政策の担当者によって異なる。

そうした意図を知り、その流れの中で合理的な行動をとれば、生活を豊かにすることもできるだろう。

たとえば、政策金利を下げれば、預金をしていても大してリターンがないため、投資や消費が活発になる。そうすると、金融商品の価格が上昇し、配当金を多く得ることができるかもしれない。

 

現在、日本には1000兆円以上のお金が存在する。このお金の流れに働きかけるのが日銀であると考えれば、金融政策を理解し、その流れを読むことは自立にとって非常に重要だろう。

 

そして、政府と日銀が一体的に動いているとすれば、国民が金融政策のかじ取りを決めるのが理想的な姿といえよう(ただ、中央銀行は政府から一定程度独立すべきなので、デリケートな問題ともいえる)。 

  

主権者教育として

 日本証券業協会には以下のような記述がある。

 

2017 年 10 月、衆議院議員総選挙が実施されました。その際、読売新聞は「投票する候補者や政党を決めるとき、とくに重視したい政策や争点は何か」などを問う「電話全国世論調査」を実施しました。この調査では、有権者が投票する上で重視する「政策や争点」の上位3つが、「景気や雇用」「消費税など税制改革」「年金など高齢者向け社会保障」であるという結果が明らかになりました。すべて経済関連です。景気がよくて、雇用が安定している。これは、誰にとっても望ましい状態です。この点については争点はありません。
では、この状態を政策的にどう実現するか。「金融を緩和しながら、財政支出を拡大する」のか。「いや、その政策では、財政赤字が拡大して、将来不安が高まるから、人びとが消費を減らしてしまい、景気が悪化する。
むしろ、消費税率を上げて財政赤字の解消を図ることこそ必要だ」。さて、どちらでしょう。政策をめぐる争点です。

このような政策をめぐる争点に、主体的に判断できる能力こそ「主権者として求められる力」です。これは、ある政策を採った結果を、短期的だけではなく、長期的にも見通せる力、と言い換えてもよいかもしれません。
読売新聞のアンケート結果にあるように、投票の際、重視したい「政策や争点」の上位は経済関連の事項が占めています。だとすれば、「主権者として求められる力」の育成には、金融経済教育が重要になります。
まさに「今日の経済活動に関する諸課題について着目し、主権者として、よりよい社会の構築に向けて、その課題を解決しようとする力を養う」ための金融経済教育が必要とされているのです。

 http://www.jsda.or.jp/gakusyu/edu/web_curriculum/images/mailmagazine/Vol.59_20180329.pdf

 

結局、金融における政府の比重は極めて大きく、したがってその動向が金融の先行きを左右するわけである。

それゆえ、政策がどのような意味を持つのか理解し、それに対して意見を持つ経済金融的な見方・考え方が重要なのである。

 

授業アイデア

「デフレの原因は何か」というMQに対して、①労組の組織率の低下、②非正規雇用の増加(労働者派遣法改正の歴史)、③労働分配率の低下など、の視点からジグソーができるか(ただ、これだと金融からのアプローチがない)

これを社会的な文脈に結びつけるのならば(真正な学習)、新聞記事の社説を書いたり、政策提言をするなどのパフォーマンス評価が可能か。

 

本書の特徴

 

books

専門用語を丁寧に説明してくれるが、経済理論や経済について政治経済の教科書程度の理解があった方が楽しく読めるかと思う。逆に言うと、それ以外の方はちんぷんかんぷんになる可能性が。まったくの初学者にはちょっと難しいかもしれません。

金融をめぐる様々な立場の紹介など、基礎的な理論をめぐる対立などは中々面白いなと感じると同時に、ジグソー法で使えそうだなと思えた。

個人的には、高度経済成長期の金融政策に遡って、現在のデフレに対する状況までを解説してくれたのは非常にためになった。

日銀が何をしているのか、金融や経済などのニュースを理解したい方にはぜひ手に取ってもらいたい1冊である。

 

 

参考

湯本雅士「金融政策入門」

海外大学と国内大学 ~「蹴られる東大」と「忖度しない教育」~

 

 

最近、面白いシリーズを発見しました。

 

その名も「蹴られる東大」。

www.todaishimbun.org

 

やはり教育業に携わる者として、また大学受験生を指導する者として、「東大」は「目指す」ものだという認識があったのですが、近年の大学入試の状況やアジア圏での動向、中学入試事情などを見ると、東大ではなく海外を思考する方々が増えているように思います。

そうした思いを抱いている中で見つけたシリーズ。海外大学の特徴などが描かれているので、先生方の中でも広報や進路指導等を担当する方には参考になるのかなと。

 

日本国内と海外大学の違い

 

university

日本の大学は入るのが大変、出るのが楽。海外大学は逆。

 

よく言われる言葉ですが、語弊があります。

まず日本の大学は入るのが大変ですし、近年は文部科学省の方針もあって出席状況などを厳しくチェックするようになっています。単位認定が行われなければ、卒業できませんから、楽とは言い切れません。

www.mext.go.jp

 

また、海外大学においても同様です。

入るのはそもそも大変ですし、当然出るのも大変です。ただ、やはり日本とは違って、海外大学は授業の予習等がかなり大変らしく、その点は日本の大学生活の方が自由度が高いそうです。

 

次は海外大学での学習状況について、「蹴られる東大②」より抜粋です。

 

米国での大学生活について語ってもらいます。まずは学業面について、授業の構成や厳しさなども日本とは違うと思いますが、実際に受けてみてどう感じましたか

 まず取っていた授業を言うと、一つ目はDS(Directed Studies)というもので、これは1年生のうち選考に通った人のみが受けられる、ひたすら人文学をやる授業です。基本的に各セメスター4単位を取得するのですが、この授業が3単位分あって、文学、歴史、哲学がそれぞれ1単位ずつ、というように特にハードな集中授業三つから構成されていました。他に前セメスターは1.5単位のフランス語を取っていたのですが、こうした授業の取り方をした結果、リーディングの量が週平均600ページになってしまいました。もうどうなってんの、という(笑)。しかも古典の授業なので、『イーリアス』1冊をいきなりバーンと渡されて、3日後までに読んでこい、みたいなこともありました。最終的にDSの三つの授業で30冊くらいの本を買わされましたね。さらに毎週5〜6ページのライティングが課され、各授業それぞれ期末試験があったため、本当に一日中本を読むような生活が続きました。図書館が午前1時45分まで開いているので、そこで閉館まで勉強して、寮に帰ってルームメイトが寝ていれば、そのまま部屋で午前3時くらいまで勉強しました。フランス語の授業が朝8時20分から始まるので、朝7時半には起きて小テストの勉強をしていました。勉強は本当にすさまじかったです。毎日4時間睡眠で回す感じで、キツかったですね。

 

ほかにも、言語の壁は厚いみたいです。たとえば、ディスカッションにうまく参加できないもどかしさを吐露しています。

 

教授も学生がリーディングを全部は読んでいないことを察するので、論点から外れた発言は評価されませんが、かといって何も発言しないと授業参加点がゼロになってしまうので、難しいところです。しかしイェールではこうした点も、授業ごとに配置されているアカデミックアドバイザーの人たちに2週間に1回くらいの頻度で相談できます。「本当は授業中にこういう話をしたかったのにクラスメイトがこう話をもっていったせいでできなかった」と相談すると、「教授もそこは気付いているから、教授に後からどんな話をしたかったのか伝えに行けば参加点は下がらないよ」と教えてくれました。

 

言語の壁、そしてとんでもない学習量(事前準備)が毎日止むことなく続く。

半端じゃなく鍛えられる環境ですね。

 

本気で向き合う教員

 

McGill University

海外大学院での経験を持っている知人がいます。

「蹴られる東大」の記事はアメリカの大学でしたが、知人はイギリスの大学院を修了しています。

 

やはり授業は事前準備が大変とのことでした。毎週英語の分厚い本を何百ページも読んでまとめて…

それだけでなく、英語の壁があるため、母語のようには議論ができない苦悶があるとのことでした。

 

けれども、教授はネイティブでないからといって忖度しない

英語が出来なかろうが、準備が間に合わなかろうが、容赦しないとのことでした。

 

こういう点から鑑みるに、「研究者」の意識が強い日本の大学教授とは違って、海外の大学教授は「教育者」としての意識が強いのだなあと感じますね。

 

東大をける人たち

 

記事にあるような、東大を第2の選択肢として考えられるような人は、そもそも傑出した知力を備えています。しかも努力を怠らない。

 

僕実はセンターの社会でどの教科を受けるか最後まで迷ったままで、ついぞなんの勉強もしないまま1月に突入しまして。やらなくても点数がある程度まで取れる教科ということで結局地理にして、参考書を時間がある時に買いに行き、センターの前日に2冊組の参考書の片方だけを読み終えてセンター試験に臨みました。それまで一度も学校で勉強したことない地理で。(蹴られる東大①より)

 

なんじゃそりゃ~

もはや教師として教えることはあるのか、と思ってしまいますね。

 

ただ、大学進学の現実的な選択肢として海外大学を志向する生徒は増えています。

それは各校の大学合格実績に如実に表れています(以下のリンク参照)。

 

chukou.passnavi.com

※ただしこちらのリンクは2017年時点でのデータなので、現在はさらに伸びていると思われます。

 

変化する社会に合わせて大学進学も変化しています。

今回の記事が、進路指導の参考になれば幸いです。

それでは。

 

中高生が参加できるビジネス系のコンテストまとめ

 

最後のセンター試験、始まりましたね。

今回はビジネス系コンテストをゆるーくまとめました。

 

  

課外活動の重要性の高まり

 

近年の大学入試では、一般入試だけでなくAO入試や大学独自の入試*1、また推薦入試など「ペーパーテストで計測できる学力」以外の、多角的な観点から学生を評価する試験が多く行われています。

日本国内だけでなく、海外大学を思考する生徒も増えています。当然、日本と海外では入試方法が異なります。

 

そうした入学試験の多様化を受けて、学力試験だけではなく課外活動等に積極的に携わる生徒が増えている印象を受けています。

今回の記事では、ビジネス系のコンテストに的を絞ってまとめていきたいと思います。

理由は、私が公民科の教員であるのと、経済学が好きだからです。

追々社会科学系のコンテストはすべてまとめていこうかと思います。

 

課外活動を探している中高生、何か外部の活動と学内の活動を連携させたい先生方に役に立つ記事だと思います。

 

Examination paper

 

中高生(高校生のみの場合もあり)が参加できるコンテスト

 

キャリア甲子園

 

careerkoshien.mycampus.jp

 

高校生ビジネスグランプリ

 

www.jfc.go.jp

 

エコノミクス甲子園 

 

econ-koshien.com

 

常葉大学主催 高校生ビジネスプランコンテスト

 

www.tokoha-u.ac.jp

 

大阪商業大学 全国高等学校ビジネスアイディア甲子園


ouc.daishodai.ac.jp

 

日経ストックリーグ

  

manabow.com

MONO-COTO INNOVATION

  

www.mono-coto-innovation.com

  

自分がやりたいことを

いかがでしょうか。

こうしたコンテストに参加して結果を残せば、自身の関心や能力をアピールできる証明になります。

けれども、大切なことは 課外活動を通じて成長すること だと思います。

 

そういう認識をもって、副産物として結果がついてくればいいなあと指導する身としては考えております。

 

私が指導した経験のあるコンテストもいくつかあります。

教員としては、指導すると勉強するので、授業改善等に役立っているなあと感じています。

 

活動をすることで成長する。そうして身についた能力を学内の教育活動でも発揮する。さらに学内で伸ばした能力をコンテストに活かす。そういうサイクルの中で、入試を突破する力を身に付けてもらいたいですね。

 

こちらの記事も進路選択に役立ててみてください。

 

www.yutorix.com

  

*1:慶應義塾大学のFIT入試や筑波大学のAC入試などが実施されています。

Twitterってすごいなぁって話とか

 

※今日の話は感想です。ゆるゆるですのでご注意を。

 

 

先日、チレキさんにお会いしました。

 

 

以前、チレキさんとはTwitterで何度かやり取りをしていました。

 

ですが、直接お会いするのは初めて。

大いに刺激を得ました。

 

チレキさんのすごいところは、日々の授業で絶対に手を抜かないこと

毎日の授業にかける熱意・準備・実践、なにをとっても脱帽でした。

 

いくつか資料を見せていただきましたが、どれも参考になるポイントばかり。

質問をしても懇切丁寧に教えていただいて、とっても素敵な方だなあと思いました。

 

チレキさんの妥協しない姿勢に刺激を受けて、私もいてもたっていられなくなりました。

 

Twitterの機能

 

僕がチレキさんに出会ったのはTwitterを通じてです。

 

Twitterでは、多くの先生方が発信をされています。チレキさんもその一人です。

けれども、僕がしていたことは、画面の向こうで凄い実践をされている先生方を「ああ…すごいな」とただ眺めるだけでした。

 

だから、思い切ってDMをしてみたのです。

 

Twitterには、そうした先生方と繋がれる、ある種のマッチング機能がある。

もちろん無遠慮に接触をしてはダメでしょう。けれども、何度かやり取りをしていると「この人とお話してみたいな」と思うことがある。それがチレキさんでした。

 

他にも様々な先生方とTwitterを通じて出会うことが出来ました。

教育に熱い思いをもって日々試行錯誤されている先生方にお会いできた。とても光栄なことじゃないでしょうか。

あぁ、色々思い出してきちゃいました。このブログを書いている今、酒を飲んで、ZARDを聴いているので目から汗っぽい水がでてます。

次の日見たらこのセリフ消したくなるんだろうなぁ!笑

 

発信する人の下に情報は集まる

 

去年、ブログでよく授業実践を発信していました。

丁寧なコメントをくださる方々もいらっしゃり、授業改善等に役立てたりしていました。

 

A a A

 

情報は発信者の下によく集まります

さらに、発信することには2つメリットがあります。

1つはアウトプットすることによって自身の学びになること。もう1つは発信することで、自身の認識が形成されることです。

 

このブログは元々自分自身が学ぶことを第一の目的に始めました。

つまり、今学びが滞っている。

だからこそ、改めて初心に帰るべく、このゆるゆる日記を書くに至ったわけです。時刻にして0時過ぎ。まったくもって深夜のテンションです。

 

今年は

 

今年はブログはもちろんですが、論文を執筆します

昨年、勤務校に研究紀要を上梓しましたが、今年は学外に向けた発表を目標として執筆します。

教員になってから1つの夢だった論文執筆。

もう方々に言っているので後戻りできません。

自分は怠け者ですから、こうやって追い込まないとやらないので有言実行で頑張ります。

より良い教育のために、明日からまた頑張ろう。

 

それでは!

原監督の指導はすごい!-青学躍進の背景にステージ指導法あり

 

あけましておめでとうございます。

 

新年を迎え、世間は箱根駅伝で盛り上がっています。

今年の往路優勝は青山学院大学(以下、青学)。3年ぶりの往路優勝を勝ち取り、復路優勝へと弾みをつけました(母校ではないので、何とも言えない気持ち

 

さて、青学が箱根駅伝で優勝争いをするようになった立役者といえば、やはり原監督でしょう。

 

3学期をもうすぐ迎える教員の皆様にとっても、原監督の指導法は非常に有効なのではないか。そう思い、色々と調べてみました。

 

 

原監督とは

原晋監督は、元々陸上競技の選手でした。高校、大学、社会人と選手を続けていましたが、27歳の時にケガで引退。その後は中国電力の営業マンとして実力を発揮し、「伝説の営業マン」として呼ばれるようになりました。

 

そして、37歳の時、中国電力を退職し、青山学院大学陸上競技部の監督に就任。しかし、当初は芳しい結果が出ませんでした。けれども、就任5年目で学連選抜チームを箱根駅伝で総合4位に導くと、大学が本格的に支援。そして、翌年の箱根駅伝には33年ぶりに青学を出場に導きました。

 

その後、青学は箱根駅伝4連覇を達成しました。現在、原監督は、大学教授を務めたり、各種講演をしたりと、幅広い活動を行っています。

 

原監督の指導法

原監督の指導法にある理念は「選手自身が自分で考え、かつ楽しくプレーする」というものです。

 

本の学校スポーツの指導者は、科学が極めて発達した今でも、非科学的な「根性論」で指導することが少なくありません。監督の権威を絶対化し、上意下達の軍隊式の指導でバリバリ練習をさせる。当然、選手たちはまったく楽しくプレーなどできません。こうした点を改め、科学的にかつ選手の自主性を尊重する指導法で結果を出したのが、原監督の画期的な点といえるでしょう。

 

NYCMarathon2013-5634

 

では、具体的にどのように指導をしているのか?

 

その指導は、4ステージ指導と呼ばれています。

第1ステージは上意下達。つまり、監督の指示を選手が聞いて、実行すること。

これは、チームの理念だけでなく、具体的な行動を即座に伝達できるため、すぐに結果を出すのに有効です。しかし、監督がいなくなれば、効果は消え去ってしまいますし、選手自身は成長しません。

 

第2ステージは自覚期。つまり、選手が監督の考えを自覚する段階です。

監督が理念や目標をリーダーに伝え、その上でリーダーが選手個人に指示を出していきます。確かにリーダーは自覚しますが、その反面、監督の本意は中々浸透しずらくなります。

 

第3ステージはコーチング期。ここでは、監督の考えが選手個々に浸透していきます。

監督自身が選手全員に理念と目標を伝えた上で、「それをどう実現するの?」と問いかけます。こうすることで、チーム全体に自ら考える土壌が育ち、自立へと向かっていきます。

ただし、過度な自主性を放縦と勘違いしてしまうと、チームの秩序がなくなってしまいます。それを戒め、正しい方向へと向かわせることも監督の重要な役割です。

 

第4ステージは自立期。選手が自ら考え、監督は選手の自主性を尊重し、それにゆだねる段階です。選手が自ら考え、行動しているので、監督がいなくても、チームの強さは変わりません。

原監督はこうした段階を踏まえて、選手個々、チーム全体の力を高めていきました。

 

その際に具体的に行った指導が、1分間スピーチと目標管理ミーティングです。

毎朝、1分間スピーチを行い、最後は駅伝につなげる。表現力を磨くだけでなく、自身とチームの目標を再確認する場を常に設けています。

そして、月1回5人ほどに分かれて目標管理について意見を出し合います。学年に関係なく組織され、さらには選手個々のの役割などがチーム内で可視化されるため目標達成により一層近づけるわけです。

 

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不易流行

最終的には、選手自らが考え、行動する。これが原監督の指導の根底にある理念です。

これは我々教育者が当たり前に行っている指導に通ずるものではないでしょうか。

 

最終的な生徒のたどり着いた姿をイメージして、そこからカリキュラムを考えていく。

成長の段階をルーブリックで設定し、評価をしていく。そのために打ち手を考え、実践していく。そして、生徒の成長の様子を看取って、さらなる打ち手を考えていく。

 

 

これらは、何も目新しいものではありません。

 

やってみて、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かじ。

話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。

やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

 

これは山本五十六の残した名言です。

結局、監督だけでなく、選手一人ひとりが考えるようにならないと、人は成長しないのです。その法則は昔からずっと変わらないのでしょう。

 

そして、これらの手法は何も教師だけでなく、学校経営やビジネスにおいても人を育てる立場の方であればぜひ知っておいて損はない知識でしょう。

最終的にプレーヤーが自ら考え、行動できるようになれば、組織全体のパワーアップに繋がります。学級、学校、会社などなど。。

そのためのヒントが、原監督の指導法にあるのではないでしょうか。

 

参考

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/KS/0005/KS00050L021.pdf

 

https://www.mag2.com/p/news/352266

 

 

『ジョーカー』の世界がジョークに感じないワケ

 

 

ジョーカーを見てきました。

多分に現代社会の病理をえぐった作品だという印象が一つ、単純に次の展開が気になるような作品としての完成度が高いという印象が一つ。

wwws.warnerbros.co.jp

 

ここからはネタバレを含むので、見たくない人はスルーしてください。

 

ジョーカーざっくりストーリー

 

Downtown New York

 

舞台はゴッサムシティ。貧困層と富裕層の格差がとんでもなく広がっている街である。

 

主人公のアーサーはコメディアンを目指す壮年の男性。

母親と二人で暮らしており、ピエロの職で生活をつないでいる。

脳と神経の損傷のため、突発的に笑ってしまう障害を抱えており、生活も非常に困窮している。

 

ある日、彼は同僚から銃を渡される。そして、それを護身用に身につけていた。

しかし、彼は小児病棟での仕事中にそれを落としてしまう。それをきっかけに仕事をクビになり、落ち込みながら帰路についていたところ、酒に酔った証券マンに絡まれる。

 

激高したアーサーは証券マンに銃を向け、殺害してしまう。

しかし、その行為は貧困にあえぐ人たちにとって、英雄的行為だった。アーサーは殺害時、ピエロの格好をしていた。

結果として、ピエロは貧困層のヒーローとして神格化され、富裕層に対するデモ、暴動が起こっていく。

 

社会的な動きに対して、アーサー自身にも変化が生じる。

ある日、自分の母親が精神病を抱えており、自分が養子であることを知る。そして、幼少期に虐待したことで脳に損傷を抱えたことを知る。つまり、自分の障害が母親による後天的なものである、と知ることになった。

アーサーは母親を手にかける。

 

自分の「不遇で、惨めな」生涯を「悲劇」ではなく、彼はこう表現する。

「喜劇」だと。

 

そうして、妄想にとりつかれた彼は自分に敵意を向けた人間を殺すことに躊躇がなくなっていく。

 

現代社会に通じるリアルさ

 

この映画から感じたのは、きわめて現代的なテーマだった。

 

貧困、格差、分断、虐待、、、

 

どれも貧困から派生する問題である。

たとえば、アーサーの母親はシングルマザーだが、過去に精神病で入院しており、その際にアーサーに対する虐待が問題になっている。

そして、アーサーはその時の虐待が原因で精神的な障害を抱えるようになった。

 

貧困と虐待に因果関係があるわけではないが、たった一人で育児をするつらさ、生活を工面する不安からストレスのはけ口を虐待に求めることは往々にしてある。それが家庭における教育の差を生み、貧困の再生産を生み出すこともある。

 

また、アーサーが証券マンを殺人したことが、むしろゴッサムシティでは賞賛をもたらしたのも、きわめて大きな格差があるからだ。

 

おそらく舞台のモデルはニューヨークである。

アメリカの格差は世界で最も激しく、それゆえ富裕層と貧困層の分断はすさまじい。

たとえばリーマンショックの後、「我々は99%」というスローガンを掲げたデモが出てきた。それはすなわち、「残りの1%」は「我々ではない」という意味であり、デモで倒すべき存在という意味である。

映画の中でデモ集団が、車を燃やすなどの暴動に発展するシーンがあったが、これはパリで起きている「黄色いベスト運動」と瓜二つである。

とするならば、人々が貧困で不満を抱えている状況下では、あることをきっかけにそれが噴出するのだろう(映画内では、アーサーが証券マンを殺害して、シンボライズ化され始めたのがきっかけ)。

 

社会の分断がもたらすもの

 

Poverty Christmas

 

我々は社会という一つの集団を築いている。

しかし、あまりにもひどい格差は分断をもたらし、「私たち」と「あいつら」という分断意識を生み出してしまう。人間は仲間意識のない者、さらにいえば敵には容赦ない。異教徒に対する十字軍の情けのなさしかり、白人至上主義者による有色人種への容赦のない差別しかり、である。

暴動が起きていたときに、金持ちに銃を向ける者がいた。自分たちの不遇は金持ちのせいだ、という意識が貧困層に広まれば、そうした社会的不安定が生じるだろう。

加えて、貧困層での虐待などが精神的な病をもたらせば、被害妄想などで犯行に及ぶ人も増加するかもしれない。

 

であれば、ある程度の富の分配によって所得をできるだけ平準化する方が社会的安定性を保つ上でも、富裕層にとってのリスクを軽減する意味でも、効果的なのだろう。

 

新自由主義的政策が米英日でとられ、日本がますます市場原理を重視する小さな政府へとシフトする中で、格差は拡大しつつある。国家像・社会像をどうしていくのか、社会的な合意をはかるべきだなあと思った。

 

あと、ジョーカー普通に面白かったんでおすすめです。

問いのセンスを磨こう

 

question mark

 

〇〇ってどうですか?

 

こんな質問をしている場面、よく見かけませんか?

この類の質問を投げかけられた生徒は非常に困っているでしょう。なぜなら、思考する幅が広すぎるからです。

 

「どうですか?」って「何がですか?」って返したくなりませんか?

たまにセミナーで講師が「どうですか?」と質問してくる時がありますが、私自身は非常に困ります。何について聞いているのか、明確ではないから。

 

…毒を吐いてしまいました。

さて、要は授業の中での問いは明確にしよう、ということを伝えたかったのです。

というのも、思考は問いから始まるからです。明晰な思考はしっかりと言語化された問いによって駆動します。

そして、授業というのは学習目標が単元ごと・時間ごとに設定されるものです。

ですから、生徒に考えさせたいことがあるなら、目標から逆算して問いを作り、その問いをブラッシュアップしていくのがいいと思うのです。

ちなみに私の場合は、学習目標から逆算して、問いを作ります。その時のポイントは何を聴きたいのか、何を理解してほしいのか、どんなことを考えさせたいのか、という焦点の設定です。

一時間の授業の中で4,5個の問いを作って、要所要所で生徒に考えさせます。

内容ベースから始まっているので、獲得すべき知識から逆算することが多いです。

ですが、コンピテンシーベースで考えていくならば、知識をどう活用するのか、という視点で問いを作るのがいいのでしょう(まだコンピテンシーベースで作ったことがありません)。

 

問いを明晰にすると思考が進みます。この技術は、授業構築だけでなく、日常生活の課題解決にも役立ちます。

眼前の課題が何か、それを明確に言語化する習慣が身につくからです。

 

さて、今の自分の不足は圧倒的な専門性の欠如です。問いをコツコツ蓄積していきたいなあと思う今日この頃。

 

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5Gは教育をどう変えるのか~ミクロとマクロの両面から考察する~

 

 

5Gへの注目が高まっています。

5Gとは次世代通信システムのことで、ビジネスの分野では世界的な5G推進の競争が繰り広げられています。ファーウェイやサムスンなどの世界的企業だけでなく、中国やアメリカ、スウェーデンや韓国、そして日本など世界中の政府も本腰を入れてしのぎを削っています。では、そもそも5Gとは何なのでしょうか。

 

5Gとは何か・何ができるようになるのか

"Wonderland" by Barcelona-based designer Jaume Plensa (Calgary, Alberta)

5Gとは、第5世代移動通信システム(5th Generation)のことです。現在主流の4Gに比べると、単純に通信が速くなるだけでなく、以下の3つの点に新規性があります。

  1. 高速大容量通信
  2. 超通信・低遅延通信
  3. 多数同時接続

今までよりも大量のデータの送受信が可能になり、超高速でデータをダウンロードすることができるようになります。具体的には遅延速度は1ミリ秒と、4Gの10分の1です。多数同時接続も可能になります。現在の4Gでは基地局一つに対して約100台の端末が同時にアクセスすれば、接続できなくなります。しかし、5Gでは100倍の1万台が同時にアクセスしても接続が遮断されません。こうした特徴はIoTによるデータ収集・分析を想定した仕様によるものです。

 

教育における変化

ミクロな変化

工場や自動運転、鉱山での遠隔操作など様々な実証実験が行われています。しかし、教育における実証実験はまだまだ微々たる数しかありません。

resemom.jp

 

国内では、東京都小金井市立前原小学校で初めての実験が行われました。生徒にはデジタルデバイスを配布し、それぞれWi-Fiに接続した端末と5Gに接続した端末に分け、それぞれダウンロードにどれくらいの時間がかかるのかを比べたものです。

正直、動画のダウンロードは授業中ではなく、事前にダウンロードして用意するのが基本ですが、この実験が示唆するのは学習の個別化です。

生徒はタブレットやPCを用いて自分の興味関心のある分野の勉強を自力で進めることができます。それも、高精細でリアルな映像をすぐに見る事が出来るのです。スタディサプリなどの映像授業でも、一斉授業ではなく、生徒の習熟度に応じて個人で進める時代になっているかもしれません。しかも全校生徒が接続してもサーバーがダウンしない。それを可能にするのが5Gです。

 

また、FUJITSUの提供している動画も未来へのビジョンを提示してくれています。


FUJITSUが5Gで実現する社会~教育編~

 

この動画の中で、日本の児童とオーストラリアのマイケル君が対話するシーンがあります。自動翻訳を通じて、互いの母国語でスムーズに話をしています。

オーストラリアと日本をリアルタイムで高解像度データで結びつけるのは5Gの超通信・低遅延という特徴ならではだと思います。

 

実はこれに類似した取り組み、ある学校が既にやっています。

2018年にグローバルティーチャー賞でトップ50に入選した滋賀県米原高校の堀尾美央教諭の取組みです。彼女がしているのは、Skypeを活用した海外との遠隔交流事業です。生徒たちがヨーロッパやアメリカ、アフリカの国々と英語を通じてディスカッションを積極的にするというプログラムを実施していました。

しかし、現状は4Gという環境下での通信なのでタイムラグや通信の乱れが発生してしまいます。こうしたノイズは5Gが実現されれば除去されるものでしょうし、その点で現状の「先進的な」教育をさらにアップデートするものです。

また、自動翻訳を通じて対話がなされれば、英語だけでなく、世界中のあらゆる人々との対話へのハードルが大きく下がるでしょう。それは生徒の視野を広げてくれますし、また当事者との対話は多角的な視点から問題を考察するという点で教育的に非常に意義のある経験をもたらしてくれると思います。

 

クラスメイトという日常的に生活する人だけではなく、国境を越えた多様な人との対話が新たな価値観をもたらし、学習者に変容をもたらす可能性が大きく増えるでしょう。

 

実現のためには

次の2点に凝縮されます。それは教員の学習機会の拡充と資質能力の向上です。

上記のような教育が成立する大前提は、教員自身がデジタルデバイス等に対する造詣を深めることです。機器を使いこなせなければ、旧来の教育が残り続けます。教員に勉強する時間を提供するためにも、ブラック部活動や事務作業で疲弊する現状を刷新し、働き方改革を官民挙げて本気で推進しなければならないと思います。

第二に教員が勉強しようと思うインセンティブです。人を動かすには人事考課が極めて重要です。読売教育賞などいくつかあることにはありますが、グローバルティーチャー賞のような取り組みをもっと拡充していくべきでしょう。熱意に依存する、個々人の気質という偶然的でコントール不可能な要因に制度が依存するべきではありません。行動経済学や心理学などの学問的知見を活用して制度を作るべきでしょう。

ミクロな変化をもたらすにはマクロな変化も必須だという事です。

 

マクロな変化

Biz school

マクロな変化としては学校間での格差が拡大すると思われます。特に私学は大淘汰時代を迎えると思われます。

その理由は設備投資が可能かどうかという点にあります。

 

新たなテクノロジーは様々ありますが、AIや5Gなどは設備投資に莫大な費用がかかります。現状、志願者に困っていない(伸ばしている)学校は内部留保や銀行からの借り入れによって設備投資が可能で、かつそれらをPR材料にできますが、定員割れによって志願者が減少し、将来性の少ないと判断された学校に対しては融資は厳しいかもしれませんし、当然財力はありません。5Gが当たり前になって低廉化すれば導入も可能になるかもしれませんが、その頃には受験生は別の学校へと流れているかもしれません。

そもそもこれだけ授業動画が配信されている時代ですから、学校に直接行く意味ですら変質するかもしれません。その意味では、N高等学校は民間企業が母体ですから、多くの私学にとってかなり手ごわい競合相手です。

とにもかくにも、5Gが当たり前になりつつある世界で導入できない学校とできる学校とで格差が生じ、それが志願者数へ影響を及ぼす可能性があるということです。

 

一方、公立の学校は企業や大学と共同で実験をする機会が多くなると思います。企業にとっては、ある学校で導入した取り組みが成功すれば、その自治体の学校すべてに導入されることを意味しますから、非常にメリットがあります。

しかし、公立と異なり、特定の教育を志望して入学する私学には、企業との実験はハードルが高いものがあります。保護者に対する説明責任が生じるからです。もちろん公立でも説明責任は生じるでしょうが、学校の教育内容に興味のある保護者の数は私学の方が断然多いですから。

人口減少社会とあいまって、新技術の導入は私学にとって大きな分岐点となるのです。

自信の付け方-自己肯定感を高める

 

メンタルに関するライフハックです。

 

 

自信をつける

自信のない人たち-コンプレックス

 

Confidence

自己肯定感が低い、という悩みは現代社会に生きる多くの人が抱えるものだと感じています。

 

かくいう私も高くはないと認識しています。

 

たとえば失敗した経験を引きずって、コンプレックスとして抱えている人。

たとえば、大学生だったら学歴コンプレックスでしょうか。第一志望に落ちたことを引きずって、学歴で人を判断してしまう。学歴が能力の証明であり、序列化した学歴を人間関係にも当てはめてしまう。実際には能力は多様なわけですが、学歴で判断することによって、認知をゆがめてしまう。

 

僕の場合は出自と、それに伴う社会的能力に対するコンプレックスがあります。

貧困が教育的機会の喪失をもたらす、というような論の出版物が最近たくさん出てきました。自分のコミュニケーション能力や社会性の低さは「格差社会の下位層にいた」ことで説明がついてしまうため、中々心苦しいものがあります。自己の解明の欲求が充足されるにつれて、余計苦しくなっていくのが実感できていました。

ちなみに、進路多様校に勤務していた時は、社会性の低い生徒がいる状況に家庭状況との相関関係があるのかなあと感じていました。

 

さて、今はそれを意識的に訓練するように気を付けていますが、自分自身を客観的に見て気づくことが出来なければ、コンプレックスの解消も難しいですよね。

わけもわからず苦しい毎日を送るようになってしまいます。

 

自信の付け方

自己肯定感の低い人は他者の言葉に敏感です。「バカ」とか「どんくさい」とかマイナスの言葉を投げかけられるたびに、自信を喪失していきます。

 

いちいち傷ついてしまうわけです。

きにしなければいいじゃん、という指摘はごもっとも。しかし、気にして「しまう」のです。セルフコントロールの枠外にある。非常に苦しい状態です。

 

他者の言葉はその人の価値を表しません。

いくら心無い言葉を投げかけられようが、価値は一ミリも減らないのに、自分の価値がないと「認識してしまう」のです。認知のゆがみです。

 

これに対処していくには、自分に何ができるのか、客観的に分析することが大事です。

つまり、できること/できないことを明確化して、自分の価値を認識することで、わけのわからない他者評価からバリアを作ることができるのです。

 

具体的に明確にするには

まず紙とペンを用意しましょう。

過去の経験から自分が何をできたか、具体的に書きだしましょう。たくさん書きだします。どんどん書きだします。それはもう書きだします。

そうしてたくさんの経験を書きだしたら、抽象化します。

自分は何が得意なのか、何が苦手なのか。

 

最初はむずかしいかもしれません。ですから、いきなり一人でやるのではなく、学校の先生やカウンセラーを頼るのもいいでしょう。

 

こうやって自分への気づきを得て、自分の価値を認識することは自信につながりますし、なにより意味の分からない他者の言葉に対するバリアになります。

もう心無い言葉を向けられても大丈夫。バカといわれても、「自分は戦略的に物事を計画して他者と協力しながら進めることができる」とか考える事が出来るようになるわけです。

むしろきちんと言語化せずに、3歳児でも使える言葉で相手にマウント取った気になってる痛いヤツとでも思えばいいんです。

 

それから強みにリソースを向ければ、唯一無二の人物になれますし、弱みを認識すれば、その克服にも昼食できます。

 

ちなみにこちらの本が自己分析の際に参考になります。

 

 

様々なコミュニティに所属する

Confidence_2008-36

能力というものは相対的なものです。

自分で能力が高いと思っていても、ある人物と比較した時に、絶望的な能力差を感じるものです。

そうした事態への対処としては「他者と比較しない」ことが大事なのですが、他者との比較は人間であればついつい行ってしまうもの。要は自分の価値観で自分を評価することができれば、良いのですがなかなか難しいものです。

 

ですから、私はいろんなコミュニティに所属することを提案します。

人間、自分が承認される場が必要です。本来的には家族や職場がその役割を担うと私は思っているのですが、必ずしもそうはいきません。ですから、いろんなコミュニティに所属しましょう。

そこで自分を承認されたり、新たな自分の一面を発見できるかもしれません。それは自分の自信を大きく高めてくれるものとなるでしょう。また、多様な人との交流は自分の尊敬できる人との出会いなど副次的な効果をもたらしてくれます。

 

要は自分の価値を実感できる場があることが大事なわけです。

 

まとめ

 

自己分析を通じて自分の得意・不得意を発見することで、自身の強みを自信にできる

自信をもてば、他者評価にいちいち揺らがない

最初は他者から承認してもらうことが強み・弱みを発見する第一歩かも(人によっては)

継続して自信を保つには勉強を続けること、いろんなコミュニティに所属することがグッド

 

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